高校論
2002年10月1日 娘の進学ネタもとりあえず今日で最後にしたいと思います。
そうさ、オレは教育パパさ! かわいい子供の教育に関心の薄い親なんて、オレには信じられないね。
つーことで、最後に、私の考える理想の高校について。
やっぱり、高校っていうのは、いい意味での社会の縮図でないといかんと思うんだよな。だから、本当にワルい奴は困るが、いろんな人間がいた方がいい。
そして、その存在を認めてくれるようなところであって欲しいわけ。エヴァ的に言えば、どんな奴でも「僕はここにいてもいいんだ」っちゅうことを実感させてくれるようなところだ。
学力的には別に進学校である必要は毛頭なく、国公立大を目指す奴から、全然勉強せずに家業を継ぐ奴まで、バラエティに富んでいることも望まれる。
オレの出身校は中位の都立だったので、それこそ引きこもりや妙に突っ張った変な奴もいたが、皆「あれがあいつのやり方だ」といって認めていたし、別に構えずに普通に接していたと思う。
要するに、悪い意味での社会の縮図である「いじめ」とかとは正反対なもの、ということだ。
オレも中学でずいぶんひねくれたが、高校でかなり救われたし、いい悪いは別にして考え方やモノの見方は高校時代に培われたもんだからね。
次に、自由と責任(&自主性)の問題がある。これはよく論じられるが、やっぱり先に自由を与てみないと何も始まらんだろう? 議論してたって畳の上の水練だよ。
いろいろ制約して強制すれば管理側としては楽だろうが、その分、生徒も責任取らなくて済むし、大体、それを体で学ぶことはできない。
大学生になっていきなり解き放って自由にするのではなく、高校というある程度守られた枠の中で、生徒を信じ、最大限の自由を与えてみるのがいいと思うんだよな。その方が真に身につくだろ。
これは一生ついて回る結構重要な問題でもある。
望むところは以上2点だけであって、これが、オレら親子の共学・私服の国公立主義の理由なんである(もともと両親がそうだし、実は貧乏ということが最大の理由だが)。
中高一貫の私学は同じような人が集まって純粋培養されちゃうという点でも、最初から論外。(もちろん、そういうのが合ってる人もいると思いますよ)
でも、現実的には、バランスよくバラエティに富んだ生徒がいるというのはなかなか難しくなっている。
昨日書いた個性的な東葛飾にしても、超進学校の中では進路は抜群に広いほうだが(世間的に見ればいわゆる「落ちこぼれ」も少なからずいる)、それでも入学時点でかなり均一化されている。
また、かつては自由を標榜していた都立高にしても、中堅以下はどんどん校則が厳しくなり、制服も復活しているという。
今や、(私服に象徴される)自由な校風の公立高校は、各都道府県でも上位高にしか存在しないといっても過言ではない。
大げさに言えば、かくして、上位進学校の生徒は自由を謳歌してどんどん自主的にやっていくのとは反対に、下位校生徒は締め付けられ、どす黒い不満(あるいは世の中そんなもんだという諦念)が蓄積されていくという、悪循環の構図ができあがるわけだ。
どんどん階層化・両極化が進んでいるようなんで、それが悩みの種なんですわ。
先日書いた神奈川の私服の公立である、外語短大付属・希望ヶ丘・神奈川総合の3高は、その後調べたところ、いずれも偏差値65以上必要らしい。
勉強が嫌いで、出来がいいとはいえないオレの娘には無理っぽいかも。
まあ、ちょっと頑張ってみたらとしか言えません。
PS1
昨日、千葉県で私服の公立は東葛飾だけと書きましたが、小金高校というのもありました。これもかなりの進学校です。
ちなみに、今春、卒業式で国歌国旗をナニしなかったのは千葉県では東葛飾と小金だけで、少なからず問題になったようです。いいですねえ。今後も校長は信念を貫いていただきたいです。
ちなみに、サッカーの日本代表、柏レイソルの明神選手が小金高校卒。なるほどという感じ。
PS2
以前娘は「くだらないことを覚えるとヴァカになる」と名言を吐いてくれたんですが、最近、「中3になったら塾とか行ったほうがいいかもしれない」と言い出しました。
うーん、残念。
そうさ、オレは教育パパさ! かわいい子供の教育に関心の薄い親なんて、オレには信じられないね。
つーことで、最後に、私の考える理想の高校について。
やっぱり、高校っていうのは、いい意味での社会の縮図でないといかんと思うんだよな。だから、本当にワルい奴は困るが、いろんな人間がいた方がいい。
そして、その存在を認めてくれるようなところであって欲しいわけ。エヴァ的に言えば、どんな奴でも「僕はここにいてもいいんだ」っちゅうことを実感させてくれるようなところだ。
学力的には別に進学校である必要は毛頭なく、国公立大を目指す奴から、全然勉強せずに家業を継ぐ奴まで、バラエティに富んでいることも望まれる。
オレの出身校は中位の都立だったので、それこそ引きこもりや妙に突っ張った変な奴もいたが、皆「あれがあいつのやり方だ」といって認めていたし、別に構えずに普通に接していたと思う。
要するに、悪い意味での社会の縮図である「いじめ」とかとは正反対なもの、ということだ。
オレも中学でずいぶんひねくれたが、高校でかなり救われたし、いい悪いは別にして考え方やモノの見方は高校時代に培われたもんだからね。
次に、自由と責任(&自主性)の問題がある。これはよく論じられるが、やっぱり先に自由を与てみないと何も始まらんだろう? 議論してたって畳の上の水練だよ。
いろいろ制約して強制すれば管理側としては楽だろうが、その分、生徒も責任取らなくて済むし、大体、それを体で学ぶことはできない。
大学生になっていきなり解き放って自由にするのではなく、高校というある程度守られた枠の中で、生徒を信じ、最大限の自由を与えてみるのがいいと思うんだよな。その方が真に身につくだろ。
これは一生ついて回る結構重要な問題でもある。
望むところは以上2点だけであって、これが、オレら親子の共学・私服の国公立主義の理由なんである(もともと両親がそうだし、実は貧乏ということが最大の理由だが)。
中高一貫の私学は同じような人が集まって純粋培養されちゃうという点でも、最初から論外。(もちろん、そういうのが合ってる人もいると思いますよ)
でも、現実的には、バランスよくバラエティに富んだ生徒がいるというのはなかなか難しくなっている。
昨日書いた個性的な東葛飾にしても、超進学校の中では進路は抜群に広いほうだが(世間的に見ればいわゆる「落ちこぼれ」も少なからずいる)、それでも入学時点でかなり均一化されている。
また、かつては自由を標榜していた都立高にしても、中堅以下はどんどん校則が厳しくなり、制服も復活しているという。
今や、(私服に象徴される)自由な校風の公立高校は、各都道府県でも上位高にしか存在しないといっても過言ではない。
大げさに言えば、かくして、上位進学校の生徒は自由を謳歌してどんどん自主的にやっていくのとは反対に、下位校生徒は締め付けられ、どす黒い不満(あるいは世の中そんなもんだという諦念)が蓄積されていくという、悪循環の構図ができあがるわけだ。
どんどん階層化・両極化が進んでいるようなんで、それが悩みの種なんですわ。
先日書いた神奈川の私服の公立である、外語短大付属・希望ヶ丘・神奈川総合の3高は、その後調べたところ、いずれも偏差値65以上必要らしい。
勉強が嫌いで、出来がいいとはいえないオレの娘には無理っぽいかも。
まあ、ちょっと頑張ってみたらとしか言えません。
PS1
昨日、千葉県で私服の公立は東葛飾だけと書きましたが、小金高校というのもありました。これもかなりの進学校です。
ちなみに、今春、卒業式で国歌国旗をナニしなかったのは千葉県では東葛飾と小金だけで、少なからず問題になったようです。いいですねえ。今後も校長は信念を貫いていただきたいです。
ちなみに、サッカーの日本代表、柏レイソルの明神選手が小金高校卒。なるほどという感じ。
PS2
以前娘は「くだらないことを覚えるとヴァカになる」と名言を吐いてくれたんですが、最近、「中3になったら塾とか行ったほうがいいかもしれない」と言い出しました。
うーん、残念。