アルゼンチン戦

2002年11月21日
 アルゼンチンは昔から、ボールを持っている選手の至近距離に2、3人サポートしているのが特徴。そこでむちゃくちゃ強いパスをダイレクトでやりあって局面を打開し、その間に走りこんだり開いたりしている選手にロングパスを出すという攻撃が多い。そして、一人はドリブラーがいてアクセントをつける(今はオルテガ)。

 だから、決して基本的には組織的でもコンパクトでもないし、プレスはもちろん、バック(守備)も含めて結構個人能力頼りの部分が多い。
 したがって、相手が出来のいい組織的チームだったり、選手のコンディションが悪いと、あんまりいい試合ができない。
 この2回のワールドカップはいずれもそうで、今年のは特にロングパスを出す役目のベロンの不調が響いたようだ。

 さて、昨日の試合だが、やっぱりアルゼンチンのコンディションの悪さは明白。
 局面での選手どうしの距離が遠いし、パスも遅い。
 プレスがきつくないので、結構日本もボールを持てたようだ。特に中村は、中田や小野がいないと、気負わないのでむしろ落ち着いたプレーができる。やっぱり「彼らに負けないプレーを」って思ってしまうんだろうな。

 あの失点は、集中が切れたり脚が止まったりしてやられる昔の日本のパターン。
 トルシエ3バックはあれだけサイドが弱いと言われてたけど、結局はクロスに対する中や、2列目からの飛び出しを捕まえることができていた。
 なんで4バックでできないのかはよくわからない。
 単純に熟成の問題ということもあるだろうが、昔一部で言われてたのは、個人能力に負う部分が多く、結局体が動かない場面が出てきてしまうのでないか、ということ。
 むしろ組織一辺倒でやる守備の方が、一見細かい上下動は多いかもしれないが、必死の力を振り絞る場面は少なくなるのかもしれない。

 ところで、かつて技術委員会が最大の問題点として挙げた、「4バックの両サイドの裏や高さ」については、この試合ではなんともいえないようだ。
 
 
PS
 金子某がスポーツ新聞でまたどうしようもないことを書いていた。
 「フランスW杯の時とは違って日本選手が大きく見えた」だと。
 フランスW杯時は「勝てるわけがないと誰もが思い込んでいたから」だそうだが、それはお前だけだろ! 昨日だって結局負けたじゃねえか! 誰かが「昨日は勝てるわけがなく、一段と小さく見えたがやっぱり案の定負けた」って書いたらそれに反論できるのか!
 敵味方、そして観客に対しても非常に失礼なコメントだと思う。こういう書き方が許されるのは試合した当事者だけだ!
 

 風邪を引いている人が多いようで、お気をつけください。
 なんか娘もずっと風邪気味だといっておりました。
(私はバカですので安心です)
 
 ところで、サドはサド公爵というのは有名ですが、マゾがオーストリアの小説家、ザッヘル・マゾッホの「毛皮のビーナス」に由来するって知ってました?

 あとロリータも、ロシア人作家ウラジミール・ナボコフの「ロリータ」によるものだそうです。
 
 
PS
 なんでオレそんなこと調べてたのかな?
 
 ケーブルTVのチャンネルNECOで映画をやっていたのでなんとなく見ておりました。

 9時から、竹中直人主演の「東京爆弾」。
 原作が矢島正雄なので、まあまあ(人間交差点でも「当り」は1/3程度。でもこれってマンガとしてはすごいことだろう)。
 でもオチというか、深く考え込ませる何かには欠けてる。東京爆弾の意思とか目的とか、もっと掘り下げられるのに、アイデアはいいだけに惜しい。

 11時からは前から見たいと思っていた「オネアミスの翼」(ガイナックスの第一作)。
 ちょっとタルイところもあるけど、これはいいんじゃない? 
 あそこで終わるとは思わなかった。人物もとても人間的ですばらしい(宗教を布教する女の子があんまり可愛くないのがイイ)。なんか深い余韻が残った気がする。

 その後の「アキラ」は睡魔に負けて寝てしまった。
 
 
PS
 それにしてもタイガーウッズはすごい。あの集中力とあれだけ強振できるスイングは信じられないくらいだ。丸山だったかが「他のスポーツでやってくれえ」とネをあげてたのもわかる。
 青木の解説も抜群。(三日目のタイガー、パットのとき左腕がちょっと突っ張っていて、パターヘッドの無駄が動きがあり、スライスラインを上手く打ててないとコメントあり)
 

タイガーのスイング

2002年11月24日
 タイガーウッズ、スイング的にはごくシンプル。
 実はバックスイングの下半身の使い方には難があって、あれが二クラスのようにしっかり腰が入り、左足もヒールアップするようになれば完璧なんだろう。
 悪くなると全英オープンの時のように頭が沈んで突っ込み、ターフが深くなるのはそのためだと思う。
 
 多くのプロはトップの切り返しで手をループさせるが、これはダウンの引き下ろしをクラブの重心アングルに合わせる操作である。青木、トレビノ、尾崎といった名手でも見られ、欠点とはいえないけど、なんかシンプルでない。
 ガルシアや青木のようにダウンのプレーン自体がひとつ下がって降りてくるのは、またちょっと違ったもので、スイングのよさ(タメとかふところといわれるもの)を示しているが、やっぱりやりすぎるとデメリットも出てくる。

 タイガーはこういうクセがなにもなく、本当に上げたまま下ろしてくる。
 なんでそんなことができるのかと思っていろいろやってみたんだが、連続振りでバックスイングのスピードを思い切り速くすると動きがシンプルになっていくようだ。トップまで一気に上がり、切り返しにも余計な動きが入る余地が少なくなる。
 そのかわりタメもなくなる感じがあるが、これも体や腕の使い方次第。タイガーは類まれな運動センスであの強打を実現している。

 もうひとつ課題が増えた感じ。
 
 
PS
 アルゼンチンのプレスが組織的でないのかって話がありましたが、うーん、どうなんでしょう。
 私の考えでは、「組織的」とは、まずコンパクトでなければならず、イメージとしては、一人がボールに寄せてドリブルと一番危険なパスコースを切り、少し離れて2番手3番手が控え、前の選手が交わされそうになると次々に寄せていくっていう感じです。
 特に、前へのパスコースを2つくらいに限定してしまい、苦し紛れにそこに出してくるのを待ち構えて鋭い出足で先に取ってしまう、というのが最大のポイントでしょう。(山口がボランチをやっていた頃の代表で結構できていた試合があったと思います)
 アルゼンチンとかブラジルとかは、確かに何人かで囲んできますが、それゆえに(私の定義によれば)組織的ではないような印象を受けています。
 「囲んで奪ってしまえ」っていうだけなら、なんか高度な作戦という感じではないですよね。それができるかどうかも、どちらかといえば(速いダッシュとかの)個人能力によるものでしょう。
 囲んでもしボールが取れないと、その分まわりは空いてますから、一気に守勢になります。南米なんかでは、「囲み」と「至近距離での早く速いバス回し」の対抗になって、見ていてすごく面白い試合になることがあります。
 

リズム感について

2002年11月25日
 致命的にリズム感の悪い家所であります。大学でもいわゆる「軽音」系のサークルに入ったにもかかわらず、すぐに脱落して評論家の道へ進んだのはそのためですた。
 さて、お題ですが、3つあります。

1.リズムの聴き分けについて
 佐久間正英は、「特殊な訓練した人とかじゃなくても、3ミリ(セック)とか、多くても6ミリ(セック)くらいで、それでも一般的に聴いている人はモタって感じたり、ちょうどに感じたりするのね。人間って異常にシビアなのね、実は。普通の人でも。」と述べています。
 これはその通りでしょう。感覚器官や神経系統に異常がない限り、普通に育っていれば人間の知覚能力にはそれほど差がないはずです(鼻の効かない犬って聞いたことがありますか?)。
 訓練によって研ぎ澄まされるのは事実ですが、それはあくまで本来誰でも持っているものが出てくるだけです。

2.運動神経との関係
 しかしながら、実際にリズムを3ミリsec以下でコントロールして演奏できるかといえば、これはいわゆる「運動神経」の問題になります(スポーツというのはあるタイミングである動作を行うというものですからね)。
 「何をやらせても上手い、器用だ」、あるいはもう一歩進めて、「どんなスポーツでも大成しただろう」という運動神経の持ち主がいます。こういう人は、遅く音楽を始めても大丈夫です。
 聞くところによれば、ラテンやブルースのギターの名手には大人になってから始めた人も少なくないとか(ジョビンがそうでなかったかな?)。
 しかしながら、サッカーの世界でもある時期にスキルを身につけないと一生ダメだといわれているように、やっぱり鍵盤楽器やドラムの4wayなどは素質に加えて幼少時の訓練がモノをいうでしょう。
 では、私のように運動神経のない人はどうすればよいのか。
 ひとつ考えられるのは、なるべく単純な楽器をやることです。たとえばベースならピック弾きに徹するとか、6弦のギターでなく3弦の三味線でやるとか、ドラムよりはパーカッションを選ぶとか。テルミンとかいいかもしれない。
(でも実は単純な楽器ほどセンスが問われます。クラシックの世界でも、トライアングルとかムチャクチャ難しいそうですよ)
 最後の手段はもちろん、打ち込みです。

 話は変わりますが、一昔前、ライブなんかで2拍4拍の手拍子がいつのまにか1拍3拍になってましたよね。(娘に聞いたら今でもそうだとのこと)
 これは、聞き分けとしては2拍4拍でも耳慣れてるのですが、運動イメージとしては「1拍3拍に合わせる」というのが出来上がってしまっているためです。

3.ビート感について
 ライブにたまに行くと、プロのミュージシャンの生み出すビートがこちらの中枢?神経にビンビン響いてくるのがよくわかることがあります(大昔、エリックゲイルのギターを聴いたときに最初にそう感じました)。
 これはリズムが正確とかそういう問題ではなく、まさに音楽のひとつの本質であると思います。
 ではこのビート感とは何か。
 私の考えでは、機械のように正確なリズムではなく、わずかな(数ミリsec)のゆらぎと、それに強弱があるのがポイントです。
 なんでそれがビート感を生み出すのかっていうのは、たとえばカンディンスキーの絵から感じる躍動感と関連して私論があるのですが、長くなりますので省略します。
 これはある程度、実際に音を合わせるという訓練によって身につけることができるようです(1ミリsecとその強弱を自由自在にコントロールできる人でなければダメですが)。最近の年季の入った日本のミュージシャンにその成果を見ることができます。
 しかし、天性としてそれができる人もいて、その多くはボーカルです。エラフィッツジェラルドなんかその最たるものでしょう(特にスキャットを聴くとよくわかります)。
 しかしそれは本当に天性なのか? はるか太古からそういう人が出ていることを考えると、まず第一にその母親がどんな子守唄を歌っていたのかに興味のあるところです。
 
 
PS
 打ち込みでも、一つ一つの音符を微妙にズラし、かつ強弱をつけていけばビート感が出ることになりますが、実際問題としては難しそうです。
 

雑感

2002年11月26日
 蜜柑さん、オリジナルをご存知どころか読んでいらっしゃるとはさすがです。(その本棚を覗いてみたい・・・。ちょっとコワイけど)

 オリジナルを先入観なしに読むってことはとても重要だと思います。
 いつぞやも書きましたが、最近の本なんか、読む必要は全然ありません。暇つぶしとしてはいいでしょう。ってことは、言い方を変えれば時間の無駄ということです。

 長い年月を生き残った(あるいは生き残るであろう)、普遍的なものをまず読むべきです。それでも十分読みきれないくらいあります。

 ところで、近代から現代にかけての日本の小説でそういったものは何か。
 芥川、三島、漱石、鴎外とかは文句なしでしょう。ノーベル賞関係では、川端の方が大江よりは格段にいいです。大体、なぜ安部ではなく大江なのかもよくわかりません。(これは故人には受賞資格がないからです。マジ)

 その他の微妙な位置にある作家はどうか。
 それこそ「古典」を読んできたその眼に頼るしかありません。
 でも、実際に読んでみないと評価が下せないっていうのがジレンマですね。
 批評家、評論家っていうのは、そういう意味での存在価値はあるとは思うのですが、具体的にどの評論家が信用できるかっていうのはよく知りません。
 オススメがありましたら教えていただけませんでしょうか。
 
 
PS
 批評家よりは、作家の作品評の方が信用できるようです。これは当然という気もしますが、それなら批評家の存在する意味はないですよね。
 
 
>朔夜さん
 もちろん仲間でしょう。
 2chの情報によりますと、幼女萌え、少年萌えの次のステージは爺婆萌えだそうです。
 

無題

2002年11月27日
 しばらくはろくな日記も書かず、レスもしませんがよろしく。

ゴルフスイング覚え

2002年11月28日
 いい振り抜きができたときは、フォローで左手がぐっと出て、それを支点に十分クラブが返る感じがある。そしてまたパワーがすでに一気に放出されてしまっているので、力も十分抜けている感じがある。

 ところが、なかなかそうはいかない。特に勘違いしやすいのは、「そのようなフォローの感じを出そう」として振ってしまうこと。
 本当は切り返しと引き下ろしですべてが決まってしまうのだから、その動きを直さないとダメなのである。要は、正しい動きが無意識的にできなくなっているということで、自分では気が付かない悪い癖が出ているといってもいいだろう。
 これはプロでも陥いることでしょうがない。すべてを意識的にやれれば、スランプなんてありえないからね。

 でも、上手い人はそういう試行錯誤をたくさんやってきているので、動きやフィーリングの引出しをたくさん持っている。だから人のスイングがわかるし、アドバイスもできるのである。
 ジュニアで活躍したのに消えていく選手がいるが、それはほとんど無意識の部分でやっているからである。

 つうことで、やっぱりまだ上体が突っ込んでいる時があるんだろう。
 ひとつは、頭の向き(ボールの見え方)と、トップの間。
 よくプロは「トップを数える」というのだが、イメージとして肩がしっかり入って止まれば(実際には止まることはないが)、自然に下半身から動き出してくれる。
 プロでもプレッシャーがかかるとすぐトップから上体で打ちにいってしまうことが多く、だからトップではっきりとしたループやモーションで間をとる選手も多い。
 たとえば日本のプロでは中村、天野、杉本、青木、尾崎などがトップの2段モーション、あるいは左リストのわずかな手のひら側への折れなどを採用している。
 自分の場合、息を吸いながらバックスイングするので、トップへ来たら「もう一息」吸いながら、肩を入れ、グリッププレッシャーを強めるというのがイメージ的にもしっくりくるようだ。
 

実技科目について

2002年11月29日
娘が怒っていた。
 たとえば体育なのだが、「いきなりの新しい課題で成績を評価する」という。
 
 出来の良さ悪さだけが成績のすべてだと言われればそれはそうかもしれないが、そういうもんなのか? 取り組む姿勢とかは関係ないのか?

 たとえば生まれつき体のどこかが不自由な生徒で、どうしてもその課題が物理的に上手く出来ないとする。その場合、問答無用で2とか1とか付けるのか?

 「いきなりの課題」で評価するというのは、極論すればその場の器用さだけを見ているわけであり、こりゃ娘のいうようになんか違うと思うね。

 でも、じゃあ全面的な評価をするとしても、それができる先生なんかそんなにいそうもない気もする。
 

黒豹シリーズ

2002年11月30日
 門田泰明の黒豹シリーズ。
 これは「トンデモ本の世界」でも取り上げられたのでご存知の人も多いと思うが、駅とかの「お持ち帰りください」のコーナーに置いてあったので「黒豹スペースコンバット」を暇つぶしに読んでみた。
(実は何作か読んだことがあるんだけど)
 
 いや、もう大傑作。
 なんせ宇宙空間で拳銃バンバン打っちゃうからね。月面で金属と金属がぶつかって火花も出るし、爆発音も聞こえるらしい。すごい世界だ。

 黒豹の描き方もねえ・・・。まあ話の中では死なないからなんでもありだけど。
 でもいつも現れるところ襲撃されて死体の山を築いてるけど、あまりに不注意なんじゃない?(脳天気さ加減なんかも007を彷彿とさせる)。

 あまりに「地上最強の男」として美化されているのも、痛いを通り越して笑える。パロディ小説とかの格好のネタだと思う。一発書いてみっかな。
 

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