ドーピング考

2002年7月13日
 今日は極論です。

 昨日の続きなのだが、私は「見るスポーツ」としてはドーピング賛成論者である。
 それは単純に圧倒的なパフォーマンスを見たいからであって、実はサイボーグ化してもいいんじゃないかと思っているくらいである。

 アメリカではサッカーはあまり人気がないそうだが、体格も大きくはないし、国内リーグにも世界で有数という選手もいないということで、「ポジショニングの良さ」とかの小難しいところを理解しろといってもやっぱり難しいんだろう。

 やっぱりわかりやすい大リーグのホームランなどに熱狂する国民性であるが、その大リーグは、ずいぶんドーピングは甘い(オリンピックなどでは禁止されているものも許可されている)。
 実際問題としてアメリカでなくても、もし、ドーピングに何も副作用がなければ、取り入れる興行プロスポーツは多いものと思われる。

 で、極論として提案するが、いっそのこと全面解禁してみればどうだろうか。
 命を削るドーピングの代償として莫大な報酬を得る、これはリーズナブルである。見ているほうもスリルが増す。

 そして、そのスポーツに殉ずるつもりのない「健全な」選手は、あくまで純アマチュアとして大会に参加する。

 なぜこんなことをいうかというと、あまりに現在の状況がひどすぎると思うからである。
 ドーピング薬と検査とその裏にある政治的思惑。見つからなければよいとするモラル。
 そして、何より商業主義が勝利に対する歪んだ価値観をもたらしているということ。
 勝利至上論がそうだし、たとえばオリンピックの金メダルで一生喰うには困らない競技もあれば、その競技に打ち込んだために健康を害し(ほとんどの競技がそうだけど)、悲惨な一生となる例も必ずしも少なくない。
 なんか、やってる選手本人も勘違いしてるような場合も多そうである。
 

 以前も書いたことがあるが、元オリンピック強化選手として言わせてもらえば、大事なのはプロセスであって結果ではない。
 「(マスコミ等のリードにより)一般に考えられている勝利の価値」というものを、もっとずっと引き下げる必要があるのではないだろうか。
 そのかわり、その競技の持つ本来的な面白さや、プロセスに興味を持っていただきたいと思うんである。
 
 
PS
 「プロセスがすべて」っていうのは別にスポーツに限ったことではないと思うんだが、どうもそういう風潮ではないのが気になる。
 

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