笑える出品
2002年12月21日 12月25日あたりが締め切りの原稿を抱えているのにヤフオクにはまっている家所です。
今日は2chで「笑える出品 その20」http://natto.2ch.net/test/read.cgi/yahoo/1039693021/ つうのを見てました。
確かにすごいのが多いです。
たとえば、http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/show/qanda?aID=e18785087。Q&Aをご覧ください。わたしゃ玉袋さんが誰かとやり取りしているのかと思いますたよ。
なお、写真はhttp://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e20006688で見ていただけます。
次、http://page2.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b29551151。3枚目の驚くべき写真、猫好きなら必見です。でもこれ有名な写真らしいです。
http://page2.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b29225135 も迫力があります。「こちらの表情のキューピーはあまり見られないものかと思います。」って、そりゃそうだが。
いろんな人がいるもんだ。他にもヤバげなのがいっぱい。
今日は2chで「笑える出品 その20」http://natto.2ch.net/test/read.cgi/yahoo/1039693021/ つうのを見てました。
確かにすごいのが多いです。
たとえば、http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/show/qanda?aID=e18785087。Q&Aをご覧ください。わたしゃ玉袋さんが誰かとやり取りしているのかと思いますたよ。
なお、写真はhttp://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e20006688で見ていただけます。
次、http://page2.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b29551151。3枚目の驚くべき写真、猫好きなら必見です。でもこれ有名な写真らしいです。
http://page2.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b29225135 も迫力があります。「こちらの表情のキューピーはあまり見られないものかと思います。」って、そりゃそうだが。
いろんな人がいるもんだ。他にもヤバげなのがいっぱい。
クリスマスなんて糞食らえ!
2002年12月22日 イエスがいつ生まれたかはよくわかっていない。年については西暦前3-7年の間であるらしいが。
西方教会においては、すでに4世紀には12月25日 にクリスマスを祝うことが広く行われていたと思われ、資料的にもその頃の文書に12月25日が誕生日と書かれている。
一方、東方教会では誕生、東方の博士たちの賛歌、そしてヨハネによる受洗を一緒に記念する特別な集会を1月6日に開催していたらしい。
もともと、ある宗教が浸透していく過程では、土着のそれの儀式や習慣と融合していくものである。(布教における抵抗を少なくするために、変な解釈をこじつけてそれを利用するということもある)
キリスト教の場合は、古代ローマで12月17日から7日間祝われた異教サトゥルナリアの収穫祭、あるいはペルシヤ起源の太陽崇拝のミトラ(ミスラ)教の冬至(12月25日)の祭などがイエスの誕生日に結び付けられたと考えられている。
つーことで、オレには全然関係ないよ!
西方教会においては、すでに4世紀には12月25日 にクリスマスを祝うことが広く行われていたと思われ、資料的にもその頃の文書に12月25日が誕生日と書かれている。
一方、東方教会では誕生、東方の博士たちの賛歌、そしてヨハネによる受洗を一緒に記念する特別な集会を1月6日に開催していたらしい。
もともと、ある宗教が浸透していく過程では、土着のそれの儀式や習慣と融合していくものである。(布教における抵抗を少なくするために、変な解釈をこじつけてそれを利用するということもある)
キリスト教の場合は、古代ローマで12月17日から7日間祝われた異教サトゥルナリアの収穫祭、あるいはペルシヤ起源の太陽崇拝のミトラ(ミスラ)教の冬至(12月25日)の祭などがイエスの誕生日に結び付けられたと考えられている。
つーことで、オレには全然関係ないよ!
東方の三博士
2002年12月23日ってたらアレだ。マギだ。
マギっつうのはアレだ。ゾロアスター教の司祭だ。
この話はマタイにしかないから間違いなく史実ではないけど、ずいぶん勝手な話だよな。ゾロアスター教関係者からよくクレームが付かないもんだ。
こういう話を捏造するの、最近の新興宗教でもよく見かける。人間のやることは昔から変わってないのう。
PS
三博士の名前とされるガスパール、メルキオール、バルタザールの由来を調べようと思ったんですけど新約が見当たらなくて断念しました。マタイに記載ありとの情報があったんですが、たぶんなんかの外典、偽典に書かれているのではないかと想像します。
ところで、その偽典のたぐいなんですが、「これは聖書ヲタの同人誌のようなものか?」っていうコメントが某サイトにありまして、はなはだ納得いたしました。
>チリトマト♂さん、Ninaさん
リンクありがとうございます。相互はチトお待ちくださいな。(ただいま件数制限一杯でして)
マギっつうのはアレだ。ゾロアスター教の司祭だ。
この話はマタイにしかないから間違いなく史実ではないけど、ずいぶん勝手な話だよな。ゾロアスター教関係者からよくクレームが付かないもんだ。
こういう話を捏造するの、最近の新興宗教でもよく見かける。人間のやることは昔から変わってないのう。
PS
三博士の名前とされるガスパール、メルキオール、バルタザールの由来を調べようと思ったんですけど新約が見当たらなくて断念しました。マタイに記載ありとの情報があったんですが、たぶんなんかの外典、偽典に書かれているのではないかと想像します。
ところで、その偽典のたぐいなんですが、「これは聖書ヲタの同人誌のようなものか?」っていうコメントが某サイトにありまして、はなはだ納得いたしました。
>チリトマト♂さん、Ninaさん
リンクありがとうございます。相互はチトお待ちくださいな。(ただいま件数制限一杯でして)
キリスト教ネタはもう終わり
2002年12月24日 大昔、実際のイエスの言動が知りたくて、かなり調べたことがあります。
結構スゴイです。救われるようなところも確かにある、と言ってしまいましょう。
半端でなく頭のいい人ですよね。たとえ話が強烈にうまいのもその証拠です。
(以下うろ覚え)
たとえば税金を払うべきかと聞かれたとき。イエスと答えれば民衆が納得しない。ノーと答えればローマの役人に捕まってしまう。
イエスはまずカエサル(シーザー)が彫られた通貨を掲げ、ここに描かれているのは何かと聞く。そして「カエサルのものはカエサルに返そう。神のものは神に返そう」と言ったわけです。
よく考えれば、ものすごい詭弁というか、ワケわかんないです。
でも、本当にぎりぎりのところから出てきたものなので、その迫力には誰も太刀打ちできなかったのではないでしょうか。
これひとつをとってみても、彼が常人ではないことがよくわかります。
いや、イエス自体はすごく好きなんですけどね。教会になってしまうと、もう最悪です。
同じように仏教も大乗とかいって本当に馬鹿馬鹿しいです。
烏合の衆がよってたかって偉大な宗教家のいいかげんな解釈をでっち上げ、それに取って代わろうとするわけですから。
やっぱり人間のやることは東西を問わず変わらないんでしょうかね。
結構スゴイです。救われるようなところも確かにある、と言ってしまいましょう。
半端でなく頭のいい人ですよね。たとえ話が強烈にうまいのもその証拠です。
(以下うろ覚え)
たとえば税金を払うべきかと聞かれたとき。イエスと答えれば民衆が納得しない。ノーと答えればローマの役人に捕まってしまう。
イエスはまずカエサル(シーザー)が彫られた通貨を掲げ、ここに描かれているのは何かと聞く。そして「カエサルのものはカエサルに返そう。神のものは神に返そう」と言ったわけです。
よく考えれば、ものすごい詭弁というか、ワケわかんないです。
でも、本当にぎりぎりのところから出てきたものなので、その迫力には誰も太刀打ちできなかったのではないでしょうか。
これひとつをとってみても、彼が常人ではないことがよくわかります。
いや、イエス自体はすごく好きなんですけどね。教会になってしまうと、もう最悪です。
同じように仏教も大乗とかいって本当に馬鹿馬鹿しいです。
烏合の衆がよってたかって偉大な宗教家のいいかげんな解釈をでっち上げ、それに取って代わろうとするわけですから。
やっぱり人間のやることは東西を問わず変わらないんでしょうかね。
未来を予想するためには未来を発明してしまえばいい
2002年12月25日 アラン・ケイが小学生にコンピュータを教えるという番組をやってたので見ていたが(http://www.edu.city.kyoto.jp/alankay/ に資料あり)、なかなか面白いことを言っていた。
昔、アラン・ケイが現在のようなパソコンを考えたとき、アプリケーションという概念はなかったんだそうだ。
では、それはいい現象あるいは進歩と思っているのかと思いきや、とんでもないという。
つまり、特定のアプリケーションの概念や機能にとらわれすぎていて、コンピュータ本来の持つ使命である、人間の知的活動の拡大、つまりを創造性をスポイルする可能性があるというのだ。
まあ、彼とかの初期のパソコンの開拓者は、その可能性にほんとに胸膨らす思いをしたんだろう。
確かにExcelとかフォトショップとか、はたまたデータベースとか、そういうのをマスターさえすりゃいいというもんじゃない。
データを加工して何かをアウトプットするのはいいが、そのデータのあり方とか表示のしかた、その結びつきとか、もっともっと根本的なところから新しいものが考えられるはず。
紙とエンピツ代わりだけでなく、もう少し人間の思考形態というか、そういうもののサポートができないものか。コンピュータは道具であることに間違いはないが、もっと可能性のある道具だとオレも思うんだよな。
番組ではsqueak(純オブジェクト言語であり、OSの機能も備えるSmalltalkの一種)でデモしてたけど、彼がこれに力を入れるのもわかる気がする。
PS
ところで、冒頭の有名なアラン・ケイの言葉だけど、まあ皆そう思ってやってんだけどね。
昔、アラン・ケイが現在のようなパソコンを考えたとき、アプリケーションという概念はなかったんだそうだ。
では、それはいい現象あるいは進歩と思っているのかと思いきや、とんでもないという。
つまり、特定のアプリケーションの概念や機能にとらわれすぎていて、コンピュータ本来の持つ使命である、人間の知的活動の拡大、つまりを創造性をスポイルする可能性があるというのだ。
まあ、彼とかの初期のパソコンの開拓者は、その可能性にほんとに胸膨らす思いをしたんだろう。
確かにExcelとかフォトショップとか、はたまたデータベースとか、そういうのをマスターさえすりゃいいというもんじゃない。
データを加工して何かをアウトプットするのはいいが、そのデータのあり方とか表示のしかた、その結びつきとか、もっともっと根本的なところから新しいものが考えられるはず。
紙とエンピツ代わりだけでなく、もう少し人間の思考形態というか、そういうもののサポートができないものか。コンピュータは道具であることに間違いはないが、もっと可能性のある道具だとオレも思うんだよな。
番組ではsqueak(純オブジェクト言語であり、OSの機能も備えるSmalltalkの一種)でデモしてたけど、彼がこれに力を入れるのもわかる気がする。
PS
ところで、冒頭の有名なアラン・ケイの言葉だけど、まあ皆そう思ってやってんだけどね。
あこがれのインダス文明
2002年12月26日 NHKで四大文明の番組をやっていたんだが、昨日見ていたのはインダス文明。
インダス文明というのはちょっと変わっていて、まず、王や司祭などの絶対的な権力者がいなかったらしい。
その証拠として、巨大な神殿関係の建設物がなく、また住民の住居には大小や質の格差がほとんどないという。
街はきわめて高度なもので、上下水道や大浴場が整備されていたのは知っていたが、番組ではなんとダストシュートまであったことを紹介していた。
(なんせ、つい200年ほどまでのヨーロッパでは糞尿は街に投げ捨てだったくらいだ。当時ダントツの世界最大の都市であった江戸では、ある程度のリサイクルシステムを実現していたけど)
1000年以上続いたインダス文明がなぜ滅亡したかはよくわかっていない。
番組では、子供の遊び道具が大量に出土していることを紹介していた。すごろくとかこまだとか人形だとか、その他いろいろ。
きっとそこにも楽しい生活があったんだろう。
ということで、もし私がどの時代のどの国に住みたいかといわれれば、インダス文明はその候補の筆頭なのである。
インダス文明というのはちょっと変わっていて、まず、王や司祭などの絶対的な権力者がいなかったらしい。
その証拠として、巨大な神殿関係の建設物がなく、また住民の住居には大小や質の格差がほとんどないという。
街はきわめて高度なもので、上下水道や大浴場が整備されていたのは知っていたが、番組ではなんとダストシュートまであったことを紹介していた。
(なんせ、つい200年ほどまでのヨーロッパでは糞尿は街に投げ捨てだったくらいだ。当時ダントツの世界最大の都市であった江戸では、ある程度のリサイクルシステムを実現していたけど)
1000年以上続いたインダス文明がなぜ滅亡したかはよくわかっていない。
番組では、子供の遊び道具が大量に出土していることを紹介していた。すごろくとかこまだとか人形だとか、その他いろいろ。
きっとそこにも楽しい生活があったんだろう。
ということで、もし私がどの時代のどの国に住みたいかといわれれば、インダス文明はその候補の筆頭なのである。
締め切りに追われて四苦八苦の巻
2002年12月27日 やっぱり3万字を2日で書くのは無理だったぜ。
まだ全然終わってない!
PS
プレッシャーとストレスで5時間も眠れません。もう死にそうです。
まだ全然終わってない!
PS
プレッシャーとストレスで5時間も眠れません。もう死にそうです。
疲れ果てているかも
2002年12月28日 今日はですね、吉田拓郎のライブを見ましたかね(もちろんTVです)。
ギターが土方隆行なのにびっくり。もう一人は稲葉政裕です、きっと。
ドラムはあの笑いながら叩くのはたぶん島村英二。これは素晴らしいです。
ベースはスキンヘッドでよくわかりません。(吉田健ではない感じでしたけど)
演奏は、なんというか、もう皆さんオールマイティというかノンジャンルです。文句ありません。
吉田拓郎も曲もあんまり好きじゃないんですが、さすがに「今はまだ人生を語らず」にはグッときましたね。でも、あまりラフにシャウトするのはやめた方がいいです。
次に矢井田瞳。
ドラムは女性で臼井かつみ。あらきゆうこほどじゃありませんねえやっぱり。
椎名林檎のアルバムでよくギターを弾いてる西川進っていうのがやってたんだすが、驚くべし、つぶやきシローそっくり。弾いてる姿もあんまりうまくなさそうなんですが、その音やフレーズは、あきらかにあの林檎のアルバムで聞けるものでした。なかなかです。
矢井田瞳自体については、なかなかいい曲もあったんじゃないでしょうか。
PS
原稿はまあこんなもんでしょう、ということでいいかげんにやっつけました。あまりに疲れすぎていて、うーん、出来はよくわかりません。
まだイラスト、写真、そのキャプションがあるんですけど・・・。
さらに、正月明けまでに小冊子一冊仕上げないといけないんですけど・・・。(しかもタダ働きで)
ウワァァァァン!
ギターが土方隆行なのにびっくり。もう一人は稲葉政裕です、きっと。
ドラムはあの笑いながら叩くのはたぶん島村英二。これは素晴らしいです。
ベースはスキンヘッドでよくわかりません。(吉田健ではない感じでしたけど)
演奏は、なんというか、もう皆さんオールマイティというかノンジャンルです。文句ありません。
吉田拓郎も曲もあんまり好きじゃないんですが、さすがに「今はまだ人生を語らず」にはグッときましたね。でも、あまりラフにシャウトするのはやめた方がいいです。
次に矢井田瞳。
ドラムは女性で臼井かつみ。あらきゆうこほどじゃありませんねえやっぱり。
椎名林檎のアルバムでよくギターを弾いてる西川進っていうのがやってたんだすが、驚くべし、つぶやきシローそっくり。弾いてる姿もあんまりうまくなさそうなんですが、その音やフレーズは、あきらかにあの林檎のアルバムで聞けるものでした。なかなかです。
矢井田瞳自体については、なかなかいい曲もあったんじゃないでしょうか。
PS
原稿はまあこんなもんでしょう、ということでいいかげんにやっつけました。あまりに疲れすぎていて、うーん、出来はよくわかりません。
まだイラスト、写真、そのキャプションがあるんですけど・・・。
さらに、正月明けまでに小冊子一冊仕上げないといけないんですけど・・・。(しかもタダ働きで)
ウワァァァァン!
娘、冬コミに行くの巻
2002年12月29日 娘が冬コミに行くというので途中まで送ってやりました。
意外と早く帰ってきたので、アレっと思って首尾を聞いたところ、お目当ての本だけでなく作家さんと話してきたらしく(娘の書き込みも覚えていていてくれたらしい)、とても満足だったようです。
PS
娘に時計を渡したらえらく喜んでおりました。嬉しい!
意外と早く帰ってきたので、アレっと思って首尾を聞いたところ、お目当ての本だけでなく作家さんと話してきたらしく(娘の書き込みも覚えていていてくれたらしい)、とても満足だったようです。
PS
娘に時計を渡したらえらく喜んでおりました。嬉しい!
宗教は阿片のようなもの
2002年12月30日と言ったのはマルクスですが、私はそれはどうかと考えてます。
でも、一理はあると思うんです。
たとえば、ご利益第一主義の新興宗教。近所というほどでもありませんが近くにありまして、すごい人を集めて建物もたくさん増えつづけてます。なんだかよくわかりません。
宗教を信じる人が善人だとは限らないです。
生臭坊主の例もありますし、欧米でも敬虔なクリスチャンのマフィアやギャングなんてのもザラです。なんかその教祖が説いてる本質とはまた違ったところで受け入れられてるようです。
もっと基本的には、宗教の悪い一面というのは、それで救われると思ってしまうことです。(断言
ちょっとニュアンスが難しいのですが、宗教を深く信じ込んでいる人って、なんか生き方が無責任になっている場合があると思いませんか? きちんと自分のものとして受け止めていないというか・・・。
やっぱりそれは、苦悩なり決断なりをどこかに肩代わりさせてしまっているからなんだろうと思います。
まあはっきりいいまして、たとえば懺悔することで悩みが軽くなるとか、あるいは死後の世界がどうこうとかを信じ、あるいは念仏を唱えることで救われるとか、そういうことは絶対にありません。
でもやっぱり、宗教は必要であると私は思います。その意味は何か?って聞かれそうですね。
私見によれば、それは「正しい悩みを正しく悩むこと」を教えてくれるものであります。
まあ、人生の師とか座右の銘(書)とかでも同じようなものなんでしょうが、それだけではありません。
単に仏陀やキリストの言ったことを理解するだけじゃ宗教じゃないんですね。それは未知のよくわからないものに対する畏怖(ヌミノース)というものであり、その点でやはり人間に必要なものなのではないでしょうか。
PS
キリスト教ネタを書いていたときにちょっと考えてたものをまとめてみました。
もちろん、正しい悩みを正しく悩めないで困っているのは私自身であります。
でも、一理はあると思うんです。
たとえば、ご利益第一主義の新興宗教。近所というほどでもありませんが近くにありまして、すごい人を集めて建物もたくさん増えつづけてます。なんだかよくわかりません。
宗教を信じる人が善人だとは限らないです。
生臭坊主の例もありますし、欧米でも敬虔なクリスチャンのマフィアやギャングなんてのもザラです。なんかその教祖が説いてる本質とはまた違ったところで受け入れられてるようです。
もっと基本的には、宗教の悪い一面というのは、それで救われると思ってしまうことです。(断言
ちょっとニュアンスが難しいのですが、宗教を深く信じ込んでいる人って、なんか生き方が無責任になっている場合があると思いませんか? きちんと自分のものとして受け止めていないというか・・・。
やっぱりそれは、苦悩なり決断なりをどこかに肩代わりさせてしまっているからなんだろうと思います。
まあはっきりいいまして、たとえば懺悔することで悩みが軽くなるとか、あるいは死後の世界がどうこうとかを信じ、あるいは念仏を唱えることで救われるとか、そういうことは絶対にありません。
でもやっぱり、宗教は必要であると私は思います。その意味は何か?って聞かれそうですね。
私見によれば、それは「正しい悩みを正しく悩むこと」を教えてくれるものであります。
まあ、人生の師とか座右の銘(書)とかでも同じようなものなんでしょうが、それだけではありません。
単に仏陀やキリストの言ったことを理解するだけじゃ宗教じゃないんですね。それは未知のよくわからないものに対する畏怖(ヌミノース)というものであり、その点でやはり人間に必要なものなのではないでしょうか。
PS
キリスト教ネタを書いていたときにちょっと考えてたものをまとめてみました。
もちろん、正しい悩みを正しく悩めないで困っているのは私自身であります。
無題
2002年12月31日 5時間睡眠を2回に分けてとるといった具合に生活リズムがめちゃくちゃになっちゃいまして、調子のエラク悪い家所です。
やっぱり歳ですかね。
ついでに、以後何日か飯を一切食わないことにしました。飯屋も開いてないし金もないもんで。
PS
FOXチャンネルのXファイルの再放送だけが楽しみです。
やっぱり歳ですかね。
ついでに、以後何日か飯を一切食わないことにしました。飯屋も開いてないし金もないもんで。
PS
FOXチャンネルのXファイルの再放送だけが楽しみです。
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