アラン・ケイが小学生にコンピュータを教えるという番組をやってたので見ていたが(http://www.edu.city.kyoto.jp/alankay/ に資料あり)、なかなか面白いことを言っていた。
 
 昔、アラン・ケイが現在のようなパソコンを考えたとき、アプリケーションという概念はなかったんだそうだ。
 では、それはいい現象あるいは進歩と思っているのかと思いきや、とんでもないという。

 つまり、特定のアプリケーションの概念や機能にとらわれすぎていて、コンピュータ本来の持つ使命である、人間の知的活動の拡大、つまりを創造性をスポイルする可能性があるというのだ。

 まあ、彼とかの初期のパソコンの開拓者は、その可能性にほんとに胸膨らす思いをしたんだろう。

 確かにExcelとかフォトショップとか、はたまたデータベースとか、そういうのをマスターさえすりゃいいというもんじゃない。
 データを加工して何かをアウトプットするのはいいが、そのデータのあり方とか表示のしかた、その結びつきとか、もっともっと根本的なところから新しいものが考えられるはず。

 紙とエンピツ代わりだけでなく、もう少し人間の思考形態というか、そういうもののサポートができないものか。コンピュータは道具であることに間違いはないが、もっと可能性のある道具だとオレも思うんだよな。

 番組ではsqueak(純オブジェクト言語であり、OSの機能も備えるSmalltalkの一種)でデモしてたけど、彼がこれに力を入れるのもわかる気がする。
 

PS
 ところで、冒頭の有名なアラン・ケイの言葉だけど、まあ皆そう思ってやってんだけどね。
 

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

最新のコメント

日記内を検索