国語

2003年5月22日
 最近、娘は星新一などを読んでいるらしい。
 俺も大体読んでいるのでその話をしていたら、なんと英語の教科書に「おーいでてこい」が載ってるんだそうだ。あと国語には「繁栄の花」。
 なかなかよろしいんじゃないんでしょうか。

 娘は「国語は何も勉強しないでも5以外を取ったことがない」と豪語しているので、ちょっと問題を出してやった。
 これは漱石の「夢十夜」の第6夜で、俺の高校のときの教科書かテストだったかに出て、未だに確信が持てない問題である。
 以下、夢。

「運慶が近くの寺で仁王を彫っているというので、なんで運慶が生きているのかなと思いながらも行ってみた。
 見物人もたくさん集まっていたが、運慶は高い足場の上で、まわりには眼もくれず一心不乱に大きな仁王を刻んでいる。
 その鑿さばきはいかにも無造作で何も逡巡することがないが、あっという間に仁王が形になっていく。
 感心していると、見物人の一人が「あれは木の中に仁王があらかじめ埋まっているのであって、土の中の石ころを掘り出しているのと同じで間違えようがない」
という。
 なるほどそんなものか、なら自分にもできるはずと思い、帰って手ごろな薪を彫ってみることにした。
 しかし、いくつトライしてもうまくいかず、遂に今の木には到底仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。」

 その理由とはなんでしょうか?
 

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