飯島毅彦氏のこと

2003年4月15日
を思い出したのでちょっと。

 10年以上前、地方誌に頼まれて市の教育委員会の飯島毅彦氏をインタビューして記事にしたことがある。(20年近く前は結構いろいろな雑誌に文を書いていて、人物モノとかもやっていたかららしい)

 ぜんぜん知らなかったのだが、飯島氏は校長として全国的に有名で、たとえば30年前に中学に本邦初のジャズ部を作り、アメリカに行かせて演奏させたりとか、これ以上は書かないが、それまでの教育関係者が思いもつかないことをたくさんやってきた人。

 前例のないことをやる大変さについてもやはり語ってくれたが、印象的だったのは教育者としての姿勢である。
 この人は「可能性を追求する」ことを信念としてきており、ジャズ部とその渡米にしても、「生徒がやりたいと言った以上、全面的に支援しただけ」と話す。
 多少のリスク(本当の意味での危険もある)に怯むことなく、果敢にチャレンジするということでもある。

 周囲の反対を押し切るような強引さは全くなく、むしろ思慮深く、言葉を選んで静かに話す根気強い人のようだった。共感力も十分のように感じられたが、そうでなければ後に赴任した養護学校とかでもいい仕事はできるわけがない。

 だから、その飯島氏が珍しく、「自分や他人の可能性を妨げるようなことをした生徒には目玉の飛び出るほど怒った」とはっきり言ったのにはとても納得した。
 具体的には、本当はできるのにやらなかったりとか、あるいは他人の行動等を物理的・精神的に制限してしまうような「いじめ」とかである。
 
 
 私の経験からしても先生という人種にはあんまりまともな奴がいない。俗物的な小人は反面教師にはなるが、なかなか難しい。むしろ、マイペースの変り者のほうが生徒に強い印象を残す。
 が、たまには傑物がいるのは否定しない。
 そういうのに当った生徒はラッキーである。
 
 
PS
 飯島氏、当時は各学校の指導や、公演で全国を動いてましたが、今はさすがに引退してるでしょうね。
 

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