人間の美徳とは?

2002年3月17日
 とんでもないタイトルでございますが、要は自分自身の反省ネタです。

 少し前ですか、鯖さんを始め、多くの女性の皆さんが仕事について悩みを切々と述べられてましたので、私も何事かをコメントしようとしてました。でも、酔っ払って書いてたので、翌朝ソッコー却下したということがありました。
 最近も、そういうことを考えさせる日記も再三あり、またこれは女性だけの問題でもないとも改めて思ってます。
 ただ、私の言いたいのは、制度や慣習的な話ではありません。

 東大工学部の名物研究室と共同研究したことがあると前に書きました。
 その教授というのがいわゆるやり手でして、世界広しといえどもこの人以上に切れる奴はそうはいない。本人も著名なノーベル賞学者や政府要人を前にしても自信満々です。和英とも素晴らしい文をお書きですし、何事にもセンス抜群でもあります。

 でも、プロジェクトなんかでも、ちょっとでも使えない奴と判断すると、ガンガン切るんですね。私も首にならないように必死でした。
 ですから、敵も多い。今でも学内で着々と力(と金)を築いていますので、皆寄っていくんですが、本当のシンパとか友達は少ない。今後、何か失敗するとどうなりますか。

 プロジェクトならそれでもいいでしょう。
 しかし、はっきりいいまして、彼のような能力至上主義の人生哲学はいかがなものか。
 もちろん、能力主義がなければ現在のような「先進国における一見繁栄に見えるもの」はなかったことは明らかです。
 しかし、行き過ぎはいけません。欧米の一部で見られる能力主義、アジアにはびこる拝金主義、これらは人類の未来をスポイルするものだと私は思っております。

 しかし現実的には、男性のみならず女性もこういった能力・成果主義に翻弄されざるを得ない。
 長くなるので詳しくは書きませんが、今後も総合(あるいは専門)と単純の労働に2分されていき、その中間で葛藤する人も増えていくでしょう。
 
 ところで、その能力についてです。
 私は、ずっと昔から、女性に「社会に出たときの自分の武器」という考えが希薄であることを不思議に思ってました。もし私が女性なら、まず手に何か職をつけることを考えます。
 山田風太郎も、「忍法笑い陰陽師」の冒頭で主人公に、
「運は自分の実力次第、と信じてる男の方が何か落ち着きがない。」
と問題提起させ、
「それは、実力次第と信じればこそ、自分の実力に不安を抱かざるを得ないからさ。」
続けて、
「男なら不安で不安でじっとしてられないほど女は一般的に無能力だといっていい。」
「その女が、みな、妖気を放つほど泰然自若としている。」
とあんまりなことを言わせてます。
 ここで山田氏は、別に何がいけないとかどうあらねばならぬ、と言ってるのではなく、単に男としてそう見えることがある、と言ってるだけですので誤解なきようお願いします。(現在はまた事情も違いましょう)

 そして私の言いたいところですが、
「男も女も関係なく、能力とか実力を何であれ価値基準にすることはもうやめよう」
ということなのです。

 いいじゃないですか頭が悪くても。不器用でも。物事を知らなくても。芸術に疎くても。ワープロ打てなくても。いい文が書けなくても。あるいは金がなくても。
 本当の人間のいいところ、っていうのはそういうものを全部取っ払ったところにあるのではないでしょうか。

 そういうのがきちんと見れる人になりたい。
 実は私自身がフリーの身ということで、激しい生存競争にさらされ、こういった能力主義的な価値判断はもう第二の本能というくらい身に染み付いてしまってます。
 これをとっぱずしていくのは、結構難しいです。
 前からそう思ってたんですけど、(女性の多い)皆さんの日記を読ませていただくことを含めてここ最近身の回りに起こったことから、強くそう思うようにもなってます。

 意識が変われば社会も変わりますでしょうか。 
 全然、当初の女性のお仕事というお題に対するコメントにはなってませんでしたね。
 まあ要するに自戒、ってことですわ。
 

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