http://www.youtube.com/watch?v=Xp1_CLxqSmU&sns=em

 ご本人の大森さんが素晴らしい日記を書いている。↓
http://blog.livedoor.jp/omorimorimori/archives/52013789.html
 「一見オモチャみたいだけど本物の強力なピンクトカレフという、とても愛おしい武器をもう持っているとライブをして実感できたから」

 バンドは最初に(練習で)音を合わせた瞬間に生まれ、その才能や天運は決まる(もちろん人間と同じで「生き方」で運命は変えることができる)、というのが俺の持論だ。
 実はこれまで書いたことはないが、初めてハイビスカスのライブを公民館の地下の部屋で見て、その帰り、本当に大切な宝石を手に入れた思いがした。
 「はじまった。ドキドキした。こんなにかけがえのないものを持っている、ニヤけてしまう。夢は手にしたって、夢のままキラキラしている。」
 まさにその通り。メンバーもそのような実感を持ったはずである。

 そしてまた、大森さんは「べつに、性格が合わなくてもバンドはできる」とも書いているが、これは非常に重要である。これまで、いかに多くの有望な若者が「友達だから、気が合うから」というだけの理由でロクでもない音楽家と組んで、前途を失ってきたか。
 本当にいい音楽をやれれば、ほとんどの問題は解決できる。人間性がモノを言うのは、最後の最後である。(そりゃあんまりヒドイ奴は論外だが)
 メンバー選びは決して妥協してはならない。

 実は某バンドは決して仲良しグループではなく、ほとんどの時間は不和気味であり、結構文句ばかりなんだが、それが音楽に向かうと一変する。
 「気に食わないとか嫌いとか、音楽の前ではそんな矮小なことは問題にならない。音楽はそれほど崇高なものである」
かつて某メンバーはそう語ってくれた。

新宿モーション

2011年11月1日 日常
大森靖子&THEピンクトカレフ:
 いやあ、ハイビスカスやわくわくバンドを初めて見たときのような。鮮烈に弾けてて本当に素晴らしかった。あの感じでもちろんいいが、それほど大音量にせずアコギが聴こえてくるようなのがあってもいいかなと思ったら、最後に似たような感じでやってくれた。
 ギターは文句なし。ドラムはエジプト文明ズで見たときは確かクラッシュを叩くのだけ注文を付けたと思ったが、今回見たら別に変でなかった。変だったのは俺の眼か。難点としてはちょっとベース、一本調子かな。
 大森さんには春先にバンドでやったらと言ったことがある。しかし、メンバー選びには本当に注意しなけりゃいかんとは言い忘れてて、しまったと思ったんだが、これならいいだろう。曲も唄も引き立つ感じで、階段を上がった感じで、ますますなんとかなりそう。なってください。
 漫画喫茶でどうこう、っていう一番好きな曲をバンドで聴いてみたかった。

Slumberland:
 外にいたら1曲目のドラムが聞こえてきたが、グルーブがよくない。楽曲も面白くないと思う。

Dots Dash:
 ギターが歪み気味、ベースが恐ろしい音、ボーカルも不安定気味だが外音は太く出てて、全体的に線の弱さが消えて力強くなっていた。そう、これならボーカルの弱さが気にならない。
 この感じをキープしながら、もっと強弱をつけるといいんじゃないだろうか。
 ポイントはドラムで、特に左がリストが効いて短いストロークでも芯を食ってるから、大きくて太くてしかも柔らかい音がする。スタジオのドラマーによくいる感じで、これならこの感じで音だけを小さくもできるはず。
 気が付いた点としては、左、待ち時間があるとき、肘を引くというか全体が外側へ移動する感じがあるんで直した方がいい。右は左ほどリストが効かないので(たぶん本能的に抑えてるんだと思う)ハットを叩くのにスティックだけ鋭角に上がってしまってる。あと、ちょっと首が落ちる感じがあるんで、背中上部の体幹をトレーニングするといいと思う。
 曲はいいのあるね。

she might be swimmer:
 一曲目とかそれなりの雰囲気はあるが、楽曲は全体的にイマイチのような。なにより、ドラム、押さえ付けて叩いてるんで音がよくない。バンド全体をどうするか、もうちょっと話し合った方がよさそう。

サーティーン:
 ハードというか、俺にはちょっとよくわからない選曲で、ピンと来なかった。
 ドラムは、よくyoutubeでよくプロが(そうる透など)、振り上げたときにスティックが手のひらから離れないように教えてるが、この人ははっきりと離れ、っていうか小指も持ってない感じで、ティンバレスや木琴鉄琴の握りみたい。俺は別に悪いとは思わないけどね。キックはやっぱりちょっと小さいかな。
 ベース、かなり単調な感じ。もっといろいろ考えてやればいいのに。

 3ヶ月以上振りに新宿モーションに行ったが、やっぱり川崎あたりとはだいぶ違う。知った顔もたくさんいて懐かしかった。ネコカメラ氏、平賀さち枝さん、モデストロイ氏、ラッキーサウンド氏がいるかと思ったが、来てませんでした。
 退院後初ライブ観戦。娘の高校関係ありRitchieありで、割と楽しみしてたライブ。

丸刈りなんとかピザ?(笑):
 高校生バンドではDe:TOURの代わりに丸刈りなんとかが出てきて残念。ドラムは以前に文化祭で見てなかなかしっかりしてると思った奴だと思うが、フィルから新しい展開へ入ったところで、出音がコントロールされてない。スネアが小さすぎたりとかいろいろ。体の動きはいいんだからもうちょっとっていう感じ。

scrach:
 音楽はお好きなようにとしかいいようがないが、ドラム、意外とグルーブが出てて、結構いいと思った。ベース、もうちょっと弾くことに専念したらどうかね。もっといけるはずだよ。

Ritchie the world acoustic:
 やっぱり音楽はお好きなようにって感じだが、レベルは高い。ボーカルも予習してたのと違って意外と本格的だった。が、MCは変な笑いを入れない方がいいと思うけど。ギターはかなりのもの。リズムがいいのでボーカルも楽に歌えてた感じ。バンドも相当レベル高そうだ。Ritchie氏は菊池ひさえ氏の友達で、ライブ(イベント?)を一緒にやったこともあったはず。

F.ch:
 ライブ慣れはしてきた感じだが、音楽もイマイチだし、そもそも関東ギターエロスあたりでやってるようじゃ(以下略)。ドラムは相変わらずよかった。ボーカルがファルセット気味?で凛として時雨に似た部分があって思わず苦笑い。w

わくわくバンド:
 これまでのドラムがパーカションに回り、娘の同級生の光夫君がドラムに入った。相変わらずレベルは高くて、いわゆる「合奏の楽しさ」(笑)がわかっているバンドって、実は本当に少ないんだが、それがよくできている。ベースは途中驚異的なラインを弾いてた(後藤次利風?)。光夫君は高校卒業あたりではいいドラムを叩くようになったのは知ってたが、やっぱりいい。上下動はあるが佐野康夫みたいな感じで、フィルも凄くいい感じだった。しかしこのバンド、コピーだけやる社会人バンドとしてやっていくつもりだろうか? ああもったいない。

 その他はどうでもいい感じ。あ、後半司会をやってたフライドチキン男似(笑)氏のボーカルは強力で痺れた。
 それにしてもセルビアンナイトが満を持して送るイベントの割には、うーん、どうなんだろう。1コイン500円ってのはいいが、4時から10時までのイベントで、どうでもいいバンドが多くて疲れた。
知ってることがたくさんあるんだから、もうちょっと体系的に整理して書いたら、とある人に言われ、俺も気になっていたんで、それもそうだなと思う。

なんで、ノウハウや豆知識に重点を置いたブログでも始めてみようかと思います(本格的には来年からかなあ)。author名は藤林長門です。テーマは仕事、健康、音楽で、ブログやカテゴリをちゃんとを分けて書きます(そのあたり無頓着でした)。興味のある方は探してみてください。

いや、この日記はやめませんよ。プライベート主体にして、頻度は落ちるかもしれませんが、そういうのも混ぜてきますんで。

忙しいが

2011年10月28日 日常
退院したばっかりで、このふらふら感やら足の不自由感が治まるというか、慣れるまで、だいぶかかりそうな感じもあるが、いろいろと忙しい。
退院翌日は練馬川崎往復で、復路は超デカリュックに両手大荷物で、帰宅ラッシュにもバッチリ合ってしまい、さすがにバテた。
今日は午後からさっそく仕事場へ。何台かのパソコンのデータバックアップとリカバリーをやれとな。
人使いの荒い職場だ。

それにしても、新しい人(中高年女性)が入ってどうなるかと思ったが、今までのパソコン化してきた業務はすべておじゃんになり(死語?)、古めかしい作業に戻っている。この人パソコンは使えないと聞いたが本当だった。

でもまあ、ルーチンワークは全て任せられるということでそれはそれでいいだろう。何百という宛名書きや電話番は頼むわ。

俺はもうちょっとプロジェクト志向で電脳を追求していくつもり。
あまり通勤しなくてよさそうでよかった。

出所

2011年10月25日 日常
じゃなかった、退院しました。

思い。

2011年10月23日 日常
 100日の入院生活ももう終わり。
 病院としては「日常生活はまったく問題ない」と、太鼓判を押して退院させる格好だが、確かに、後遺症もほとんどないように見えるかもしれないが、左半身は不自由は間違いないし、物理的にも脳内的にもふら付きがあるし、失ったものは大きい。集中力、持久力も不安だ。
 今日昼間、娘から退院はいつかと短いメールがあった。
 夕方、最後に近いリハビリ中、一人で5階ベランダに出たが、ふと、ここから飛び降りてしまえば楽になるな、と思った。そう、楽になるのは簡単だ。だから、精一杯生きてやれと思った。
 父親ともたくさん話をしよう。耳が遠くなる前に話ができなかったのが残念だが、まだ間に合う。

退院準備

2011年10月22日 日常
をしていて結構忙しいのに、どうでもいいサイトを巡ったり、アホなブログを書いたり、youtubeを見たりと、うーん俺何やってんだろ。

 不毛なネットめぐりも、ちょっとした発見はある。
 朱里エイコ関連で寺川正興ベースとコンビを組んでるドラムだが、俺の聴いた感じではどうも石川晶みたいだ。ノリとかパタパタドタドタの感じが猪俣猛とは違う。
 寺川ベースの勘所を再現できる人が現れて昭和歌謡からポップス、ロック、ジャズ系まで幅広く活躍すると面白いなとは思う。希望者には勘所をお教えします。笑


 退院は目前だが、最近は血圧が110を切り、二桁に下がることもあって、低血圧疑惑が発覚。なかなかふわふわフラフラ感が改善されず、左手のしびれ範囲が広がっているのも、ひょっとして血圧が関係があるかもしれない。ということで薬を調整してもらっている。
 しかし、シャバに出たらどうせまた高くなるっていう意見もあったりして。

 例の宮本はどうなったかって? いやもう興味ないっす。
 おかげさまでジジイに睡眠を乱されることはなくなったが、実は連日、同室の若者のいびきに悩まされてる。自分もそうかもしれないし、ジジイとは違って文句はいいようがない。
 それで眠れないときは、体調というよりも脳の調子がイマイチで、どうもいかんのだが、これもいろいろ体験して調子の悪いときは対処を自分で見つけ出すという、リハビリの一環として考えるしかない。

 今朝は実は翌22日の土曜日だが、ひどい夢を見た。人を殺しちゃう夢。悪人で、脅され追いかけられてる感じだったが、車道に突き飛ばしちゃった。夢は考えるものでなく感じるものだが、あんまり感じたくない。

退院後はかなりやることがあって、リストを作らざるを得ない。やれることはわかっているが、気分はどんな感じか、ちょっと気が重い。仕事のメドがないわけじゃないのは恵まれているとは思うが、それもやる気がしないし、どうしてもその他の雑務が多くなっていくよなあ。

 退院後の事業も考えてる。資金はある。いやあんまりない。アイデア募集中。
 前提条件として、まあ面白くないことはない音楽をやってるとしよう。抜群に面白いならどこでどうやってもいずれ頭角を現すし、つまらないならどんな後ろ盾がついていようと望みはない。

 最近、ライブハウスやノルマについてツィッターで話されていたが、一通り呼んで予備知識を仕入れておきたい。2chにもそのようなスレがある。
 結論からいって、タダでライブする方法はいくつかある。ライブ慣れするにはいいかもしれない。またいいイベントを安く提供するにも面白いと思うが、ミュージシャンの本義ではない気がする。ということで、あまり意味はないように思う。

 まず1年間は、練習、情報収集、それに月4、5万円くらいの軍資金を用意してライブ鑑賞にあけくれることだ。いきなりライブハウスに出たところでしょうがないし、そもそもライブ見るの何より好きでしょ?
 自分のランク付けで最上級のプロを月1回、そして、そうでもないのをいろいろなジャンルで幅広く月1度見れば、目標やレベルも絞れてくるだろう。もちろん、目や耳を肥やすのが最重要である。
 ライブハウスは週に2回以上行きたいが、どこの何を見るかというと、
 まず、新人発掘の担当者、責任者(以下「業界人」という)が回る箱。今はツィッターやブログがあるから、彼らの行動は調べられるはずだ。そしてまた、そういった売り出し中だったり、育成中のバンドがよく出る箱。
 これらの箱では、箱のスタッフは当然業界人とのコンタクトがある
 そして、インディーズの最前線といわれるようなバンドが出る箱。ここの力の入ったイベントを見に行く。こういった箱では例外なくジャンルにとらわれない意欲的なブッキングがいる。
 具体的にどこかというと、たとえば、前者は学芸大学メイプルハウス、後者は新宿モーションと、とりあえず1つずつ挙げておこう。(もちろんまだまだあるはず)
 どちらにしても、箱のスタッフと親しくなることは重要だ。また後者では、特に、いいバンドに関する情報収集、できればコミュニケーションをしていきたい。そうこうするうちに、見に行くべきところも見当がついていく。

 1年も見れば、だいぶわかって来て、顔も覚えられるので、出演さしてもらうのは容易だろう。本当によければ、前者では業界人につないでくれるだろうだし、後者ではどんどんいいバンドとタイバンさしてくれ、ライバル的なバンドと切磋琢磨して伸びていくことが可能だ。そうなればいいイベントにも呼ばれだす。

 いいバンドは、例外なく自分たちの得意技、アピールポイント、強み、を客観的に把握している。「ここは誰にも負けない」みたいなものだ。「自信があれば」というのはそういう意味だが、ライブに出て人に見てもらうのも、各種コンテストやオーディションに参加するのも、デモを送るのも、そうなってからのことである。(とはいっても、それがあるバンドは最に音を合わせた瞬間からあるんだけど)

 もっと別なジャンルの箱、というか音楽もある。勘所は、それぞれの音楽で売り出し中の人やバンドにアンテナを張っておき、それをたどって、コミュニティを探してコミットすることだ。
 楽器演奏を狙うなら、プロやプロに近い輩がセッションしているような箱にコミットしていくことだろう。ジャズの場合はよくわかりません。

 それから先は頑張ってくださいとしか言えません。EMIの加茂さんがよく言っている、週2回の練習、月2曲の新曲、月2回のライブ、それを2年。正しくやっていれば状況が変わっていくはず、ってのは完全に正解と思う。
 とにかく、演るよりはまず聞くことだ。そうしてヴィジョンが固まりかけて初めて、演る方向が定まる。某バンドはまさにそういうバンドだった。(じゃなくて「である」)


PS
 違うことを書きたかったはずなのに、なんか違う方向に行っちゃった。ある程度書いちゃったんでしょうがなく載せる。出来も不満足。
大森靖子について書いてあった中で、気になっていたのをやっと再発見↓
http://ameblo.jp/birokun/entry-11013888186.html
「大森靖子というフォーマットは既に固まっているかもしれない
でも、それをどんどん打ち破っていい曲を聴かせて欲しいなと思ったのでした。」
俺もフォーマットについてはちょっと気になっていた。ちょっとね。
言いたいことには異論がありません。


次は某バンドにつて。
まずこれ→ http://goblin.mu/content/707-%E5%AE%B6
的確。

そして→   http://blog.livedoor.jp/xtcgo2/archives/50725556.html

これも→   http://d.hatena.ne.jp/hiropon03/20110811/1313062597
「年齢に不相応なほど洗練されている」ってのはなかなか聞かない評。彼女ら実は専門家筋なんで、まさにその通りなんだが。
某有名ライブハウスのブッカーさんの「無駄な音がまったくない」っていうのも思い出した。

あとひとつ→ http://blog.livedoor.jp/kosugebh/archives/1495125.html
「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」とか得意げに言ってくるやつには「うるせぇ、サルビアの花でも歌ってろよ!」と、「かっこいいということはなんてかっこいいんだろう」っていうパラガな雰囲気で言ってくれる感じがするのである。だから観てる時はちっちゃい事なんてどうでもよくなったりする。かっこいいからかっこいいでいいよって思える。」
そうだよねえ。

ついでに→ http://atmark-jt.blogspot.com/2011/03/emotional-ticon-urga.html
「で、ライブ前とか楽屋で会ったとかしたんだけど、妙な話してたり(内容は書けない)、なんか変だなと思ってたのだけど、いやいや、ライブが、すごいかっこよかった。
ヘビーな音でも、怪奇な音でもないんだけども、どっかおどろおどろしい雰囲気が漂ってて、常に殺伐としていた。」
そうなんですよ。妙な話をしているらしい。笑
それぞれやってることはそんなに変哲もないが、全体として実に変わってるってのは、あぶらだこの人に言われた評。


2011/10/10の新宿のタワーレコードの平賀さち枝のインストアのライブ
ツィッターでもブログでもいろいろ書かれているので、挙げないことにしたが、なんでも最後の曲で号泣したらしい。
俺もそれに類することを実見し、感じるところがあったので書いたことがある。彼女のブログにも新宿タワレコの思い出というか話が書かれてたので、それからすると、当然予想できたこと。
しかしまあ、要するに、それができるのが平賀ってことだ。
というのが流行っているらしい。
 ちょっと俺が聴いたところでは、踊りは知らんが、少なくとも歌は感心しない。

 一昔前のアイドル?には、どこかに素人とは一線を画すものがあった。リズム感やら歌い方やら。もしそれらが大したことなくても、曲詞編演には何かがあって、その上で歌えばやっぱり素人とは一線を画してはいた。
 そう、時期的にはモーニング娘あたりまでか。実際にモーニング娘には、意欲的な若いコンポーザーやミュージシャンが起用され、マジメに音楽やってる人で、モーニング娘をバカにする人は今もっていない。
 しかし、最近のアイドル?はどうだろう。たとえばももいろクローバーだが、いろいろな意味で歌に魅力がない。リズム感なくべたっと歌ってしまっているのが一番かな。全体的にフラットして暗いのも問題だ。楽曲はなんだか和風の入った、なんか変なもの。たとえばアマチュアバンドの楽曲としてはそれなりかもしれないが、プロの仕事としてはどうか。

 この件に関しては、某バンドの某面罵と話したことがあり、要するに、もうそういったプロの技ってのは、敬遠され、必要のない時代になっているのである。
 超絶テクニックのピアニストなんかもそうだが、動画で見れば「ああすごいね」と思う程度。そんなものは、多くの人にとっては、金出して見る価値のあるものじゃなくなっている。
 どころか、自分とかけ離れたものはむしろ嫌悪され、遠ざけられる時代にもなっている。ここ、かなり深いよ。俺は必ずしもそれが人類にとって必ずしも悪い方向に向かってるとは思っていない。(この件に関してはまた後日)

 それでは、今求められているのは何かといえば、高校の文化祭の後夜祭のトリで歌える程度の「華」であって、自分を投影できる対象であり、また自分が育てたと言えるようなF級アイドルである。
 それが頑張る、泣く、完全燃焼する、泣く、目標をクリアする、泣く、といった、つまりあのテレビ番組や映画(あるいは自分の高校の体育祭)のコンセプトであって、それに感情移入し、また達成感を感じるという世界である。自分ができなかったいわゆる「代償」なのかもしれない。
(しかし、売れるにはいいとこついてるとは思う。あんまりかわいくないのも狙ってるね)

 しかしながら、やっぱり音楽というのは、常でないものを聴きたい。グールド、ジミヘん、バッハ、モーツアルト、等々・・・。そういう需要も少なくはなったがまだ存在すると思う。そういう意味で、やはり王道を歩いて高みを目指しているバンド、たとえば某バンドなどにもっと注目していただきたい。
 ところでもし、音楽的才能が歴史的レベルでなくとも、特に近代の音楽(というかパフォーマンス)には、「自己表現」という手段がある。その表現のレベルが歴史的、つまり人間として最高のものであれば、すでに音楽はあまり問題にならず、鑑賞に耐えるものになる。しかしそれも茨の道、ひょっとすると破滅への道かもしれないが。

 そういう意味で、若いバンドマンが「表現」に自己陶酔するのもどうかと思う。本来それは、「文学上の表現」に近いものと思うんだが、メンヘルもどきのなんちゃらブチ撒け自己満足を見せられてもただただ困惑するだけだ。
 そう、平賀さち枝のようなのが本来の表現だと思いますな。平賀さん、ももいろクローバーの大ファンらしいけど。笑


PS
 ああそういば「初期衝動」ってのもありましたな。でもそれでプロでやるのは難しいかも。
 所内は暇なので、懐メロを聴き出した。というのは、
「朱里エイコつったら「北国行きで」っていう一般のイメージほんともったいなさすぎ。この人が歌謡曲ぽいの歌ってもつまんない。この人はソウルなのがすごくお似合い!」
というツィートにインスパイアされたからだが、俺の意見としては、昔の歌謡曲は、作曲作詞編曲演奏唄の、それぞれの職人芸を楽しむものではないかと思っている。
 あの「音楽って何だ」の近田春夫氏の聴き方とは異なるかもしれないが、とにかく昔の歌謡曲は往々にしてヌルい。しかし、職人芸ズを楽しむものと割り切ってしまえば、とりあえず聴ける。そして、中にはヌルくないものもあるのである。

 あんまり長く書くつもりはないが、朱里エイコの場合は、あまりに別格であって、唯一の難点は、パンチのある曲を最初から最後までパンチで押してしまうことだろう。そういう曲でも叙情的な変化を付けられるようになればさらによくなるw サビの部分はまたちょっと違った歌い方がありそうだが、とりあえずまあいいだろう。

 そういう意味で、実際に英語で現地で歌っている本物のソウルもあるが、イマイチに思える。
 一方、「北国行きで」も、確かにあの難曲をあれだけ歌えるのは見事だが、やっぱり最初からハードにかつ類型的に歌いすぎと思う。

 それでは、どれならいいのかといえば、「北国行きで」のB面、「時の流れにのこされて」である。この曲は新しく出たベスト版には入っており、やっぱりと思ったものだ。
 「別れの朝」もいい。冒頭(Aメロ)の焦燥感切迫感が他のシンガーより歌えている。いろいろ経験あるんだろう。でも、「千切れるほど手を振る」という歌詞は大いにどころかとてつもなく変だし、後半のAメロ、チェンバロとの掛け合いのギターは妙なところがある。
 「恋の衝撃」も面白い出来だ。アレンジ演奏面では、2回目のAメロから入るストリングス、1コーラス終わってサザエさんモード部で聴かれる鋭いベースが聴き所。
 「追憶」は、雰囲気がバートバカラック風で、もろに俺好みだが、歌詞は全然ダメだ。全とっかえしたいところ。
 「AH SO!」。クレジットこそないが、これこそあのパワーオブタワーを従えて歌っているものだ(先方からオファーされたとのこと(!))。ロッコの「プクプク」ベース、ガリバルディ?ドラムも聴き所だし、パワーがあっていい。しかし、これはソウルでなく、「和製三味線ファンク」というべきだろう。
 まだまだ名曲迷曲珍曲変曲はあると思うが、とりあえず。

 いかがだろうか。「歌謡曲」っていのは、特に昔のは、洋楽を日本人として徹底的に換骨奪胎したものと思うが(それは近田春夫も同意のはず)、その肝心の当時の洋楽ってのが俺にはわからないので、当時の洋楽のソウルをそのまま歌った方がいいんだ、と言われれば実は反論できませぬ。でも、俺は歌謡曲だからこそ面白いのがあると思ってる。
 いろんな意見をお寄せください。

 一番語りたかったのは、実はその演奏陣で、特にリズムセクション。
 今になってやっとその名を知られるようになった「エレベーター」ベース寺川正興、そして「アフリカン」ドラム石川晶または「大御所orRCC」猪俣猛のコンビである。
(ちなみに例のバンドのドラムのじい師匠が猪俣氏だ)
 作曲家、作詞家、アレンジャーについても書きたいが、誌面も少ないのでこれらは後日に回したい。

 以上、朱里エイコ研究家、歌謡曲研究家の家所でした。


PS
 昔の歌謡曲のよさを今に活かすってのは、昔も今も試みられているが、難しくてなかなか成功しないようだ。俺にもアイデアがないこともないが、どうだろう(どうだろう君)。この点についてもいずれ書いてみたい。
いいニュースを聞いた。

ひとつは、某バンドのドラムが練習もしてて、いろんなところで叩いてるとのこと。某バンド曲をおさらいしたとのことで、これは復活を思わせますねえ。
これまでにも書いてきたが、万能型ではないが、プロの中に入っても光る部分の少なくないドラマーだ。ツイッターは相変わらずだが、納得できるもの。自分を信じてやってくれい。

もうひとつ、高校後期岡田バンドのさくら氏が来春から上京するとのこと。
もちろん目的を持った上京だろうが、これで岡田の状況に進展が見られるかと思うと興奮を禁じえない。ワクワク。


雑なメモだが、夢を強引に書いてしまえ。

夢1(1週間くらい前?)
 Oさん(女性)の家を訪ねたらしい。上大岡よりさらに金沢寄り? 街道を南西にバス? 海沿いなのか海に割と近いのは確か。
 大きい家。初老の母君がいて、次にまた訪れる話になる。仕事なのか何か教えるという話なのか?
 たぶんその約束の日。一応早く午前中行ってみて、門の外から「本日の午後伺いますのでよろしく」みたいなことを述べる。もちろん本来の目的はOさん。でもいないみたい。というか避けられてる? 会わせないようにしてる? 門の外からの話なのでお互いになにかぴんと来ない感じで、やがて、Oの姉が出てくる。エンジと灰色の和服。Iみたいな一重で目が横に長く(だが縦に細くはない)、背の高めなすらっとした人。右目に泣きぼくろがあったかも。対応してたのはこのひとだったのかどうかはわからない。
ちょっとどこか行きましょうという。上大岡までずっと歩いていく。へー歩いていけるのかと思う。
 まあ悪い気はしない。Oに会えず、うまくいかないようなので、姉でもいいかと思う。
上大岡の南西の商店街を歩く。駅に近くなって、ここはどうかと喫茶店みたいなのを示されるが、たぶんあんまりいい顔をしなかったんだと思う。
駅に入っていく。
 ホームで俺はK(同僚)に電話した(もっと前の時点だったかも)。電話番号は何とか覚えていた。090841・・・・ 寝ていたらしくてぶっきらぼうだったが、いつものことなので気にはしない。不機嫌でもないようだった。
 あまりいい返事をしない。というかどうしようかずっと考えているみたい。どう断ろうか考えているのかも。
 そのうち、Oの姉が横浜で食事をしましょうと言う。
 Kにもそう伝える。(その件、どうなったかわからない)
 ホームの先頭付近で電車を待つ。結構人がたくさんいる。
 左ホームに普通または準急らしき赤い列車が先に来る。列が崩れ、かなりの部分の人が乗る。それで、見失ってしまったが、これは追い越されるのではと思ったが、残った特急?快特?待ちの列にはいなかったので、乗ってるはずなので俺も乗る。(こっち乗るという話があったのかも)
 横浜近くではだいぶ人も減ったみたい。(日の出町過ぎとか?)
 トンネルの中を下ったり。
 なぜか1両になっていて、後ろから近ずいてくる列車があるらしい。仲の乗客とも話している。ぶつかったと思ったら、衝撃もなく、中を通過してというか、先に行った。
 不思議だ。
 暗くてトンネルで坂で、カリブの海賊の前半のところみたいな感じ。(真っ暗ではないが)
 何か列車から落下したのかどうしたのか。
 やがて到着。Oの姉はやはり見えない。
 そこは大プールの脱衣場みたいな感じで、非常に浅く水を張ったプールとシャワー。人はもともとあんまり服を着ていない感じで、そのシャワーを浴びて裸とタオルくらいで階段を上がって外へ出て行く。
 シャワーを浴びて振り返ると、次の電車から降りた客の最後にOの姉がいるのが見下ろせる。今服を脱いだばかりと言う感じ。俺はエスコートしに戻ろうかと思う。何か大きめのタオルでもかけてやるか。俺も痩せて腹もへこんだことだし恥ずかしくはない感じ。(そこでで終わり)

話と意味はわかるが、あとで思い返すとかなり不気味だ。


夢2(数日前)
 大学の部活の先輩のKさん。別な大学で医者なのかカウンセラーなのか。薬をもらいながら通っている。しかし一向によくならないというか自分でもよくなりそうもないと思ってる。その日、「もう終わり」みたいなことを言われ、俺も結構言いそびれてきたこと、聞きそびれたこともあって、あわてて話し出す。薬のこととかもっと続けたいとか。
 しかし、Kさんはいい返事、はっきりした返事をしない。困った顔をしてうーん、と口ごもってる。薬の件は入手はこうすればいい、みたいなことを話し出しだようだったが、誰かが来た。髪半分を金髪に染めてる、黒服を着た、なんか薄気味の悪い、酷薄な目つきのホストみたいなガタイの良さげな男で、次の時間のクライアントのようだ。
 俺はあわてて、Kさんにそのあと時間は取れるかとか、何時に電話していいかとかバタバタ聞くが、やはりはっきりした返事をもらえずに、その部屋を出る。
 全体的に低い土地にある駅の方?バス停の方?商店街の方?に向かいながら、昼飯時に電話してみようと考える。
 飯を食わなくちゃと思う。ドトールみたいなチェーン店でシチューみたいなのを食わすところがあって、もうそこでいいやと。値段を聞いてみると510円と安い。栄養もありそう。座るところとかテーブルとか、だいぶチェンジして、少し待たされそうな感じではある。(そこで終わり)

 いろいろな要素がミックスされた変な夢だ。シチュエーションは10年近く前から今までの日記に当たればよくわかるはず。
 河野氏の著作の残りの部分についてリクエストされたので。
 これは氏自身、「いきなり言うと信用をなくしかねない」とまで書いておる。

 もともと河野氏は心理臨床の専門家で、フロイトやユングの提唱する無意識の理論?にももちろん詳しいが、どちらかというと催眠に近い立場のようだ。
 催眠というと、よくわからないイメージもあるが、実際には、自律訓練法と同じで、本人が思ったようにしかならない。

 具体例Aを示す。
 (省略)

 実際に催眠をやっていうくうちに、「自己暗示」「思い」の威力に気づいたのだろう。
 また、臨床をやっている人なら皆、心の悩みから人が立ち直るのに、いかに「思い」が重要か、心底知っているはずである。(意欲、モチベーションなどという話でもある)
 そのような場を通しての実感として、「人は思ったようになる」があるのだろう。
 それを発展させて考えれば、何かを成し遂げるにも、その「思い」は不可欠である。ライト兄弟を見よ。エジソンを見よ。
 これは一歩間違うと、「楽して成功する」みたいないかかがわしいものになってしまうが、つまるところ、何かを達成するためにしなければならない努力を、苦痛と感じずに行うための、ひとつのポイントとなるだろう。
 「幸運」のような摩訶不思議モノはここでは論じないが、いずれにせよ、運の前に「強い思い」がなければ、やるべき努力もやれない。というか、強い思いがあれば、必要な努力をほとんど無意識的に自ずと行ってしまうのではないか。
 逆の例としては、どんなに窮地に陥っても、あきらめてしまうことなしに「なんとかする、なんとかなる」という「思い」が強ければ、結果的に何らかのアクションにつながり、それがチャンスを呼び、そこから脱出することが可能になるのだろう。
 
 というのが俺の解釈なのだが、どうだろうか。
 先の催眠の例と関係する次の例Bを挙げる。
 (省略)

 おわかりだろうか。本当に「思いは魔法」なのである。自分を変えるのも、何かを成し遂げるのも、「自分の思い」だし、人を動かすのは人に「そう思ってもらえばよい」。

 さて、この考え方の発展だが、1996年(古い!)時点では、河野氏自身もはっきり行き先が見えているわけではなく、「この新しいテーマに私はワクワクしている。」と述べておられる。
 そして、具体的なやり方だが、

1)いろいろな思いや考えが浮かぶだろうが、
2)それをネガティブに捉えている場合は(態度性感情がネガティブなら)、「では本当に望みとする思いはなんなのか」、と自問する。
3)いい「魔法の呪文」が見つかったら、それを唱える(思う)。
4)逆なら、事態はうまくいきつつあるので、その思いや気分をゆっくり確認する。

0)として、客観的な事態・事実を改めて認識したり、あるいは何かを行いながら、ということがあるだろう。思いや考えというのはあくまでまだ事実になってないことであり、思うだけなら今ならなんでも思えることに注意。

のように思う。
 もうひとつ重要なのは、ネガティブな思いとは、撲滅すべき敵ではなく、逆転につながる、役に立つ非常に重要なもの、と捉えることである。
 「「大いに悩んで、ヒョイヒョイ逆転して、よりよい人生を築く」 この言説が確かな実感を持って受け止められるようになった人は、意図的にプラスの呪文を唱えなくても大丈夫。
 ヘタに悩むと、心は傷つき、マイナスになることも多いのが事実ですが、あなたが望む本当の思いを、確かに誤らず思えるようになると、まあ、一人前の魔法使いになったといえます。」
だそうで。
 考えるに、今はネガティブに思えてるが本当のところはどうななのか、という疑問が当然浮かぶ。それに当然立ち向かってくるはずの障害を「ない」と思っちゃうのも、あまりに他力本願でないか?

 いずれにせよ、もはや二重モニタリングはあんまり関係ない気がする。あれはなんだったのか?
 実際、「「これで果たしてうまく二重モニタリングができているのだろうか?」などの不安や心配は、マイナスの呪文となってしまいます。マイナスな呪文、ネガティブな思いに気が付いたら、すぐに「どうなりたいのか」と自分に尋ね、あなたが望むことを呪文にしましょう。」とのこと。


 著作権上問題があるかもしれないが、いちおう書いてみた。


PS
 その界隈では、願望実現をする際、「金欠状態から脱したい」というように、自分にとって否定的な好ましくない言葉を入れて望んではいけないとされている。
 なぜならそれは、今現在金欠であることを認めて(思って)しまうことになるし、また「金欠」という言葉もそれに意識を向けることになり、否定的な思いにつながるからだという。ましてやネガティブな感情?思い?を引きずりながら願うのは厳禁らしい。
 そこで、ネガティブな感情?思い?を流し去るために、まず例のクレンジングを徹底的にやりなさい、ということになっている。でも、「クレンジングしなきゃいけない」と思うのも、例によってクレンジングできてないのを認めることになってしまうからダメらしいよ。難しいねえ。笑
 近況を。

 夢を見たんだが、書くスペースがないんだなこれが。2つほどたまってる。

 メンタル関係を短期間にワッとまとめてみたが、それは、退院も近くなり、これからの困難がいろいろ予想され、気分が落ちているからだ。
 こういった脳血管障害患者のメンタル面は非常に問題になるもので、精神科、臨床心理士の支援も一般的になりつつあるそうである。
 それでああいった夢をみたんだろう。(まだ書いてないけどw)
 しかし、昨日書いた河野氏のいう肝心な部分を読んででみて、なるほどって感じで少し持ち直してきた。うん、やってみるかな。しょうがないから。(口癖)


 日記がやっと本当に追いついた。今度は夢が書けなくて困ってる。

 仕事関係では、原稿もよくできたし、取材みたいなのもうまくいった。日記も満足いくものが書けてる。ただ、パソコンに向かう時間は長くなっていものの、持久力はどうか、ちょっと心配だ。

 ああそうだ、パソコンの膨大な不要メールを捨てる作業があった。忘れてた。

 ツイッターも使えるようにならないと。

 アイデアメモもたまっているが、果たして役に立つか?


 病院生活は、リハビリは意外と細切れ時間で、暇なようで結構忙しい。食事や消灯起床の時間も決まってるし。食後の歯磨きは強要されるが俺はごまかしている。洗濯は禁止されているが、俺だけ半日で汗びっしょりになるんでリハビリ着を毎日洗濯しなきゃやってられない。
 
 病院生活は、便秘との戦いだ。朝、一仕事終わったような気分になる。
 「便秘でぐったり、下痢でげっそり」という文句を考え出した。


 宮本の奴、また食事時に誰かとトラブルを起こして、テーブルの席をはるか遠くに変えさせられてやんの。で、それをみんなに大声で話して回ってやがる。
 話したくない人もいる、話せない人もいる、ってのがわからないんだな。
 宮本は生きててもしょうがない。なんのために病院にいるかもわかってないし。自分でPTにそんな話してただろこの前。


 音楽はあんまり聴いてないが、そういえば、9月19日に病院の記念の祭りみたいのがあ って、三味線と歌を見た。
三味線はいきなり音程も合ってなくて残念な感じ。
 歌はマイコというヨーロッパの音楽院や聖歌隊などで修行してきた人で今は京都でやってるらしい。(http://mitpop.hp2.jp
 でも、ああいうクラシックの歌い方が何に生きるのか、そして誰に受けるのか、そもそも自分で本当にいいと思うものなのか、相当考えていかないとダメだろうね。
 最初のドラマかなんかの主題歌はよくなかった。しかし、エーデルワイス、シューベルト、このすばらしき世界、あたりは楽曲の力があるので何とか聞けるけど、まあじじばばには受けないな。このすばらしき世界は中間部、もっとリズミックにやんないと。
 伴奏のキーボード男はミハターナーといってyoutubeにも上がってる。歌の伴奏部分はそれなりかもしれないけど、前奏、ソロ、後奏がよろしくない。
 それにしても、どうやってこの連中、集めたんだ?

 そうだ、病院のBGMだが、ずっと長くバートバカラックのイージーリスニングが流れている。
 楽曲はいいが、やっぱアレンジや演奏でだいぶ違う。雨に濡れてもはやっぱりBJトーマスだ! 演奏も含め見事なビートと、高音に飛びついたときにわずかにフラットするセクシーwなボーカル。ああいかんまたyoutubeを見出してしまう。


PS
 パソコンに向かうといっても、ヘタをするとすぐyoutubeに流れてしまう。最近は音楽動画(あるいはオーディオ)でも、そんなのがあったのか、と驚愕するようなのがアップされてて、まさに驚くばかり。いくら時間があっても足りない感じ。
(そういえば、パソコンを持って来たのはいいが、ニコニコの佐久間正英のベース講座の再放送を見続けて体調を崩したんだった)
 まだある。

ストレスの原因になっている出来事を思い出し、そのストレス(態度性感情)を感じている自分を、ただ感じる方法。
 説明すると、自分の中のストレスを感じている部分をじっと感じることによって浄化し、癒す。五分くらい集中してやればハートが楽になってくるはずで、そしたら深呼吸をゆっくりと三回して終わり。
 決してそれをネガティブに思わず、それも自分のものとして大切に丁寧に癒すこと。
 また「意識を向けて、感じきる」のも重要。意識を向けることで、そこに光が入り、自分の行く道がはっきりと見えるようになり、到着できるようになる。という。(http://kouhukujinsei.blog45.fc2.comによる)
 「じっと感じてやる」が具体的にどうするのか、ちょっと曖昧だ。

できない理由、うまくいかない理由を認識してそれを言葉として唱える方法。「運命のしくみ成功のしくみ」に書いてあるらしい。

感情を胸の前に引き出して、しっかりと感じきってから手放したり戻したりする方法。
ちょっと壺イメージ法に似ている。M2テクニックともいうらしい。

1.つらい思い(マイナスの思い)を吐き出し、
2.「それでいいんだよ」(肯定)の思いで、息を吸う。
方法。船井幸雄氏が紹介しているとのこと。

俺にとっては、感情を何とかしなくてはいけないというのは自明だったが、態度性感情がネガティブかポジティブかは関係ない、とする立場もある。
 たとえば、元外交官の二宮武夫氏が山口修源氏に伝えたという自観法だ。(http://kouhukujinsei.blog45.fc2.comより。原著作に当たってないので若干不正確かも)
 まず反省行。今日一日の自分の行動を細部にわたって点検し、誤りがなかったか確かめる。
 そして、自分が今何かやってるとして、その何かやってる自分に改めて気づく。あるいは感情の渦に巻き込まれてる自分に改めて気づく。
というものである。
 普段頭の中で行っている思考を捨て、ボーッと上位意識で考えることなく自分を眺め続けるだけ、というのだが、確かに何時間も続けるのは難しそうだ。
 また、前段と後段のつながりが俺にはよくわからない。

 言葉・文句をしっかり定義してないため、俺が書いてきたのも実はかなり曖昧だが、まあこれはこれでよしとする。河野氏のはさらに輪がかかっているように思う。w
 そして、俺が何をどうやるつもりかは書くつもりもないが、たとえば、河野氏の「悩みに負けない」(PHP)には続きがある。
 なんと、れっきとした臨床家であり研究者であるはずの河野氏が、P200以降で、「願望実現」「成功法則」みたいなことを書いているのだ。(本の題名からしてなんか変だがw)
 いかがわしくっぽくなるのでこれ以上はやめておくが、決していい加減な内容ではないことは保証する。
 どころか、感情モニタリング技法を離れ、ここが大本の勘所のようである。

 いずれにせよ、「行い」としては、感情モニタリングを指導する丸岡邦明氏の挙げる、
 1.感情をコントロールする
 2.変えられないことは受け入れる、変えられることはすぐ変える
 3.今、ここで起こっていることに集中する
 4.ありのままの自分を受け入れる
 5.他人の仕事を肩代わりせず、自分の仕事に責任をもつ
 6.正直で率直にコミュニケーションする
という6項目は、普遍的に重要と思われる。
 感情をなんとかするといっても、何のために、どうして、なんとかするのか、目的がある程度はっきりしていないとどうにもならない。河野氏も、
「その好転した機嫌で、いままであなたを不機嫌にさせていた問題と取り組んでみましょう。当面は、また不機嫌がぶり返すこともあるでしょう。そのときには、またこの方法で機嫌を直してみてください。上達にするにつれて、すばやく、確実に機嫌はよくなります。」
と言っておる。
 ユング派だった小川捷之氏の一般向け著作(たしかゴマブックスだったかな)を読むと、相当に厳しいこと、多大な努力を要すること、一番触れられてもらいたくないこと、が書かれている。
 世は楽に願望実現する方法が大流行のようだが、俺は、小川氏のいう通りだと思う。しかし、それも意欲を持って楽しく?やれればそれに越したことはない。
 受容だけがカウンセリングでもないし、また出家みたいな苦しい修行になっても本末転倒のはず。
 感情モニタリングでは、段階によっては、「短め対応」を薦めている。すぐにやり直して再度「どう、気分は?」「まだイヤがってるかい?」などと、重くなく自分に問いかけ、やはりネガティブ感情なら、直ちにやめてしまう、というものである。
 「やめる、中断する」と言ってるだけで、ないことにする、とか、無視する、あるいはしっかりとネガティブな感情があることを認める、などといったことは述べていない。

 段階が進めば、ちょっと難しいことをやる。(と俺は理解したのだが間違ってるかも)
 今、「不快に感じてる感情をどう受け止めてるか」を問いかけている。そして、どうもそれがネガティブで、また別な不快さえ感じている、とする。そうしたら、その「また別な不快さえ感じている」状態を、さらにどう受け止めているか、問いかけるのである。「不快が不快を呼んでる今の自分に気付いてますか? どのような気付き方をしてますか?」ということでもある。

 ここでひとつ整理しておきたい。
 「どう受け止めているか」「どのような精神状態で関わっているか、気付き方をしているか」あるいは「意識セットをチェック」というのは、別に思いを巡らしたりわけではない。それは感情としてしか現れてこないので、具体的には「気分を感じる」ということだ。ただそれだけ。
 ユングのタイプ論によると、「感情(型)」とは、無意識的な「判断や評価」(受け止め方)の結果、自然と生まれてくるもの、それが機能として優越してるタイプ、であることを思い出そう。そして、 行為や思いは一時にひとつしかできないが、感覚や感情は同時に無数に発生することにも注意。
 思いや反応性感情を受け止めて発生する態度性感情があったとして、その態度性感情から二次発生している感情。それに意識を向け、感じるのである。
(ひょっとして、反応的感情を一次、態度性感情を二次とするのなら、その対処方は短め対応しかない)

 いずれにせよ、「そういう状態をどう受け止めているか」聞いてみると、今問題としてる感情がなんかボケたような、曖昧なものに感じられ、不快感は薄まってくる。
 ご想像のとおり、これで不快感が収まらなければ、さらにまた一歩引いてひとつ外側から問いかける、というのを続けていくことができる。これでそのうち、不快感は非常に薄まり、消え去っていくことになる。(のではないか)

 表現が異なる人もいる。http://www17.ocn.ne.jp/~kannonji(曹洞宗関係者のようだ)によれば、
「何かを考えたり、思い出していることに気がついたら、すぐに、「どんな気分・感情で考えて(思い出して)いるのか」に注意を向けるようにする。
 多くの人は、「考えている内容」だけに気を奪われがちだが、気分や感情は「感じてさえいれば良い」ので、そのコツを掴むと、二重モニタリングは容易にできるようになる。
 同時に二つのことを考えるのは不可能だが、、「感じながら考える」ことは心を内に向ける習慣が身に付いていれば、誰でもできるようになる。たとえると、手触りを感じながら新聞を読むような要領」だそうである。
「慣れると、話を聞いている時や、自分が話している時、自分が嫌がっている時、に二重モニタリングができようになり、感情的になって必要以上に相手を責めたり、浮かれてはしゃぎすぎたりすることが無くなる。また、欲求や願望を感じている時に、二重モニタリングすれば、欲求の自己コントロールができるようになる。」ともいう。
 この人は、ネガティブな気分であればその態度(受け止め方?)を意識的に改める。そのうち自己コントロールが上達してくる。としているが、これは誤りだろう。
 この技法は「感情」モニタリングであり、感情はコントロールできないから感情なのであって、不快さを感じるから受け止め方を変えようとしても、それはできないし、何の解決にもならない。
 だたし、態度性感情をただ素直に受け止めていれば、何らかの変容はあるのかもしれない。


 他の技法もある。
 「まず、イライラしているなど不快な気分の自分にきちんと気づくこと。
 それを仮にイライラ象君としよう。その象君に振り回されることなく、一歩引き(具体的には深呼吸をして呼吸に意識を置く)、内なる自分の側からその象君を見つめる。意識を感情の外に出すといってもいい。
 象君が来たとき頭で考えだすと、必ず誰かのせいだなどと外側に原因を作り出そうとしてしまう。考えることをせずに、不快な感情をハートに持ってきて、見つめて感じるだけにする。
 このように意識を向けつづけると、感情の塊りは溶けて蒸発していく。
 象君を少し離れたところから、愛情を持って見守るのだ。しばらくすると、暴れて満足したイライラしてる象君は帰っていく。
 うまくいかないときは、「ワタシは今イライラしている」などの言葉を(心の中で)唱え続けると焦点を合わしやすくなる。あるいはハートがキュッとしている、胸がざわざわしている、胃がしめつけられているなど、身体にあらわれる感覚に意識を向けてもよい。
 ポイントはしつこく意識を向け続けることで、もう集中できない、と思うところまでやり続けること。時間にして3分から5分ぐらい。
 それが終わったら、イライラを感じたきっかけとなる出来事を思い出し、ストレスが感じられなかったらクレンジング成功。
 これで、イライラがイライラを呼ぶという負の連鎖が見事に断ち切られる。」
http://onasu.exblog.jpより)

 そう、これは、その筋でクレンジングと呼んでいるもので、願望実現の妨げとなる無意識的なネガティブ感情を消し去るものとされているが、態度性感情を観察するという点で、感情モニタリングに近い。
 不快感情が大きすぎる場合にできるかどうかは疑問だが、確か昔、高名な心理学者が自分の感情を観察しようとしたが、それをやるたびに肝心の感情が変容して曖昧なものになってしまい、うまくできなかった、という逸話がその有効性を裏付けているかも。
(続く)
 もともと、つらかったり苦しかったりするのをどうにかしようと調べ始めたものだ。
 そういった「感情の始末」は、結構昔からいろいろ考えられていて、普通にやるならフォーカシングが一般的だろう。今は壷イメージ等もある。
 しかし、俺はひねくれ者なので、外観が瞑想に近いものとして、感情モニタリングを調べてみた。
 また、こういう脳血管障害になってしまっては、体の本能に全面的信頼を置く、フォーカシングでは対応しにくいのではないか。(たとえば幻肢痛とか対応可能?)

 原案者の河野良和氏の著作はわかりにくい。というのは、理論的でなく感覚的で、非常にあいまいに書かれているからだ。
 そこで、以下、自分で理解したなりに書き直したり、他の技法との比較などを書いてみることにする。
 少なくとも俺はそうしないと前に進めないようである。
(なお、以下は都留弘子氏による成果も一部含む)

 まず事前準備として、身体感覚とそれに反応して生じる感情を感じてみることだ。
 これはあんまり実用的とは思われないのだが(感覚が鋭敏になる効果はあるかも)、自分にどういう事がおこってるのかを客観的分析的に見るクセをつける(っていうか)にはいいのだろう。
 ここで注意すべきは、最初は手触りなどのとっつきやすいのから始め、特に感情や気分が浮かんでこなくても、それでOKということだ。

 視覚や嗅覚がちょっと難しいのではないかと思う。
 視覚は大量の情報があって気が散ってしまうし、嗅覚は一番原始的な感覚で、過去のイメージ(+引き起こされる感情)と非常に結びつきやすいからだ。
 しかしながら、繰り返しやっていけば、身体感覚から直接、反応的に生じる感情は、特に生理的不快感を生み出すものは別にして、たいてい単にそれだけのなんともないものであって、特に大きな感情と結びつかないものであることがわかるはずだ。
 ここまでがとっかかり。

 次に、まだ段階は早いのかもしれないが、話の核心へ進もう。
 なぜ悩みや苦しみがあるかというと、記憶だったり思いだったりが、反応的になんらかの感情を引き起こし(以後、反応的感情という)、さらに、反応的感情を包括的に取り扱っている?(意識する?)上位の自分が、その感情を持ってることそのものを嫌がって、新たに生み出される上位のネガティブな感情や気分(態度性感情という)を感じてしまうからだ。
 イヤなのがイヤなのであり、不快が不快を雪だるま式に大きくしていくのである。詳しく説明するつもりはないが、これにはたいていの人が賛成してくれるのではないか。

 逆の例がわかりやすいかもしれない。
 悲しい物語の映画などを見て泣いているのだが、すばらしくすっきりした幸せな気分になったりする。
 これは、反応性感情は悲しみだが、態度性感情はポジティブで、反応性感情を、自分のその態度を、嫌がっていないからだ。
 だから、次にやることは、映画を見てその悲しみの渦に巻き込まれることなく、一歩(二歩?)引いて、ひとつ(ふたつ?)外側(あるいは上?)から、その悲しみの渦(反応的感情)を感じ取っている上位の自分があることを意識し、それがどういう気分・感情になっているか、問いかけ気づき味わうことである。
 この例ではポジティブなので、なんとも幸せな気分なはずで、その場合はその感情にひたってかまわない。存分に味わってください。

 つまり、感情の二重構造に気が付くことがまず最初の目的なのである。

 これが最初の身体感覚とどう結びつくかというと、身体感覚が何かを思い出させ(あるいは想いを発生させ)、それに反応的感情が生じ、そしてそれによる態度性感情はどうなのか?、ということになる
 想いを起こす一瞬前に、感覚そのものの感情が発生するのかもしれないが、今問題としている件とはあんまり関係ない。なので無視してかまわない。
 しかし、このメカニズムをしっかり理解しないと、河野氏の著作は読んでて混乱し、つまずくことになる。

 では、もし態度性感情がネガティブだったらどうするか。
(続く)

 病室は4の付く番号を意図的に避けてるようなんで、俺は13を外してみたw


 退院のことだが、俺が決めていいというんで、10月中旬過ぎと決めた。もうすぐだ。
 
 ひとつは、いい加減、勤務先へ顔を出さないとまずいかな、ってこと。これまで伸ばし伸ばしにしてきたが、そろそろ限度か。仕事をするつもりはないので、どう断ろうか頭の痛いことだが、未清算のレシートや、監査の準備はやらないといけない。前者は至急だし、後者もそんなには余裕はない。

 その他の金に関係あるのでは、倒れてしまって棚上げになっていた請求書起こし。そして、次の原稿、確定申告数年分、医療費の申告、引越しの続き、各所への住所変更や口座のまとめ、とたくさんあって、棚上げになってたのは至急やらないといけないし、原稿もクライアントが次の人材を発掘する前に復帰しないとまずい。申告の期限は来年早々だろうから、そろそろ娑婆に出ないとヤバイようだ。

 あとは、運転免許や保険の確認を至急にやらないといけない。そして車検か。次いで、任意保険の更新もある。ああ、果たして金は足りるのか。その前に根気は続くのか。これまでにもやれなかったことが多いのに。

 次の原稿関係では、不安定足場のリハビリも急ぐが、これは自分で道具を作らないといけないだろうなあ。

 リハビリの件だが、自主トレのメニューもいいものを退院前にまとめないといけないだろう。参考書も買ってみるか。

 そんでもうひとつ、一応の形をつけたいと思ってるのが、感情モニタリング。
 これは、いかがわしいものではなく、れっきとした実績のある臨床心理士が何十年も前から発表してるもので、近年は知ってる人も多くなってきた。
 でも一番最近の著作では、呪文やイメージングに近いことが書かれてて、ちょっと怪しげな感じ。つられて実現くんブログなど読んでたりして。昔から知ってるのは山口修源だが、これもまた同類だな。
 これに関してはまたまた後日に回す。

 まだあった。日記やツイッターに関して、退院後も続けるようなスタイルを病院内で作り上げておくこと。そうしないと、またすぐに中断しちゃうからね。続けられそうもないなら、どれかは撤退して縮小するとか。

 ゆっくり考えたいのが、退院後の生活。自炊と運動はやらんといかんだろうなあ。両親の具合のことも考えないといけない。将来的には何かの資格を取ってみる、という選択肢も考えている。投資や新商売もどうするか。

 ということで、電気電子の勉強とかやってる暇はなさそうだ。


 実は、肝心の容態やリハビリ具合だが、まだふわふわでふらふら気味だ。耳鳴りもあるし音の聞こえ方も変。今の医師は、頭から血が引けばなんとかなるみたいなことをずっと言ってるが、俺にはそうは思えない。
 いずれにせよ治療はまったくしていないんだから、病院にいても娑婆にいても同じだ。調子が少し悪いなりにやるべきことをかたずけていく方がいいだろう。
 リハビリは少しでも長くやりたいので、10月中旬という選択になった。ひと月の医療費にたぶん上限があるんで、延びても支障のない範囲で下旬に近くしたい。
 でも客観的に見て、脳幹の出血で3ヶ月で、見かけあんまり後遺症もなく退院できたら、十分にオンの字だ。


PS
 もう入院も飽きた。
 一応確認したら、障害者手帳は一番軽いのでも貰えそうもないみたい。前の病院の医師も、今のPTの人も「後遺症は必ず残る」と言ったし、6級と聞いていたんだが。
 喜ぶべきか悲しむべきか。
 それにしても、某バンドの復活は果たしていつになるのだろうか。

2011年10月5日 日常
 左半身は最初からいちおう動いたが、心もとないのはわかっていた。これは今でもそうだが、まだ頭の方がふらふら気味なのと、左下半身の今の使い方がまだ慣れてないからだろうか。

 動きで苦手なのは、ジャンプをやわらかく着地することが難しい。左ふくらはぎの状態の件や左足裏、左足指の動き、重心位置等の話もあるが、おそらくこれ、体重が増えた昔からすごく苦手だったんだと思うよ。だってやったことないもん。
 縄跳びも同じで、普通のは一応できるが、片足ずつ(ボクサーややってるやつ)とかはやったことないしできる自信もない。なのでできない。
 階段の何段か上から飛び降りるのも苦手。まず砂場かななんかで慣らして行きたいもんだ。

 要するに、動きを止めたり意図しないところで急ターンしたりといった、反射的な動きがまだ十分でないんだが、なぜかはわからない。伸張反射は脊髄レベルの話なんで下半身なら問題ないはずなんだが。右も左も関係ないようで、やっぱりまだふらふら気味なのと関係あるのかなあ。
 足元が不安定なフネに乗ってどうか、ちょっと心配になってきた。

 体幹と関係あるのかもしれない。
 もともと腹は緩みがちで、ハイクアウトなんか非常に苦手だった。
 ここへきて、やっと腹横筋は締められるようになって腹式呼吸もどきをやってるものの、やっぱり全般的に体幹まわりの筋肉を「適度に弾力のある(張りのある)状態で常に締め続ける」ってのが難しい。姿勢を保つ筋肉ってやつがそれだ。動かせたり固くするのはなんとかできるようになったんだけど。これが生まれつきできてれば、猫背ではなかったんだろう。

 あと、体にはいろんな随意筋はあるが、それぞれ思い通り動かすのも重要らしいが意外と難しい。室伏が優勝したとき、胸椎の6番だけを意図的に動かせると新聞に載っていたが(トレーナーのあの朝原も驚いてたという)、とても無理。

 それはいいとして、歩きの面では、骨盤に対する大腿骨(つまり股関節)も固いが、背骨に対する骨盤、背骨に対する大腿骨も固く(筋肉の長さも短いんだろう)、要するに、「骨盤が柔らかく動かない=脚を大きく持ち上げる必要がある=脇腹の筋肉が固まる=ますます骨盤と背骨の間が動かなくなる」という悪循環に陥ってるらしい。
 意識的に直しながら歩くのは難しいから、長時間歩いた後などは、ストレッチが重要と思い知った。し、骨盤を動かす習慣(体操)も必要みたい。

 肩のインナーマッスルは、しつこく外旋、すなわち棘下筋?を中心に鍛えるやつをやっていて、そのせいか、左上肢もやや思い通りに動くようになってきたような気がする。

 ということは、左脚ももうちょっとトレーニングすれば、思い通りに近く動くようになるのかもしれない。
 いずれにせよ、骨盤(股関節)、腹(脇腹、腹横筋含む)、そして膝から下ってことだろうなあ。



PS
 それにしても、なにか体操みたいなのをいくつかさえやってればいい、っていう運動、無いもんか。
 あとリハビリとは関係ないが、指の運動などで、「脳の血流をよくする」という謳い文句のがあるが、あれ本当かね? 脳には血流調節装置が備わってなかったけ?

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