昔の歌謡曲研究 その1 (朱里エイコ編)
2011年10月13日 日常 コメント (3) 所内は暇なので、懐メロを聴き出した。というのは、
「朱里エイコつったら「北国行きで」っていう一般のイメージほんともったいなさすぎ。この人が歌謡曲ぽいの歌ってもつまんない。この人はソウルなのがすごくお似合い!」
というツィートにインスパイアされたからだが、俺の意見としては、昔の歌謡曲は、作曲作詞編曲演奏唄の、それぞれの職人芸を楽しむものではないかと思っている。
あの「音楽って何だ」の近田春夫氏の聴き方とは異なるかもしれないが、とにかく昔の歌謡曲は往々にしてヌルい。しかし、職人芸ズを楽しむものと割り切ってしまえば、とりあえず聴ける。そして、中にはヌルくないものもあるのである。
あんまり長く書くつもりはないが、朱里エイコの場合は、あまりに別格であって、唯一の難点は、パンチのある曲を最初から最後までパンチで押してしまうことだろう。そういう曲でも叙情的な変化を付けられるようになればさらによくなるw サビの部分はまたちょっと違った歌い方がありそうだが、とりあえずまあいいだろう。
そういう意味で、実際に英語で現地で歌っている本物のソウルもあるが、イマイチに思える。
一方、「北国行きで」も、確かにあの難曲をあれだけ歌えるのは見事だが、やっぱり最初からハードにかつ類型的に歌いすぎと思う。
それでは、どれならいいのかといえば、「北国行きで」のB面、「時の流れにのこされて」である。この曲は新しく出たベスト版には入っており、やっぱりと思ったものだ。
「別れの朝」もいい。冒頭(Aメロ)の焦燥感切迫感が他のシンガーより歌えている。いろいろ経験あるんだろう。でも、「千切れるほど手を振る」という歌詞は大いにどころかとてつもなく変だし、後半のAメロ、チェンバロとの掛け合いのギターは妙なところがある。
「恋の衝撃」も面白い出来だ。アレンジ演奏面では、2回目のAメロから入るストリングス、1コーラス終わってサザエさんモード部で聴かれる鋭いベースが聴き所。
「追憶」は、雰囲気がバートバカラック風で、もろに俺好みだが、歌詞は全然ダメだ。全とっかえしたいところ。
「AH SO!」。クレジットこそないが、これこそあのパワーオブタワーを従えて歌っているものだ(先方からオファーされたとのこと(!))。ロッコの「プクプク」ベース、ガリバルディ?ドラムも聴き所だし、パワーがあっていい。しかし、これはソウルでなく、「和製三味線ファンク」というべきだろう。
まだまだ名曲迷曲珍曲変曲はあると思うが、とりあえず。
いかがだろうか。「歌謡曲」っていのは、特に昔のは、洋楽を日本人として徹底的に換骨奪胎したものと思うが(それは近田春夫も同意のはず)、その肝心の当時の洋楽ってのが俺にはわからないので、当時の洋楽のソウルをそのまま歌った方がいいんだ、と言われれば実は反論できませぬ。でも、俺は歌謡曲だからこそ面白いのがあると思ってる。
いろんな意見をお寄せください。
一番語りたかったのは、実はその演奏陣で、特にリズムセクション。
今になってやっとその名を知られるようになった「エレベーター」ベース寺川正興、そして「アフリカン」ドラム石川晶または「大御所orRCC」猪俣猛のコンビである。
(ちなみに例のバンドのドラムのじい師匠が猪俣氏だ)
作曲家、作詞家、アレンジャーについても書きたいが、誌面も少ないのでこれらは後日に回したい。
以上、朱里エイコ研究家、歌謡曲研究家の家所でした。
PS
昔の歌謡曲のよさを今に活かすってのは、昔も今も試みられているが、難しくてなかなか成功しないようだ。俺にもアイデアがないこともないが、どうだろう(どうだろう君)。この点についてもいずれ書いてみたい。
「朱里エイコつったら「北国行きで」っていう一般のイメージほんともったいなさすぎ。この人が歌謡曲ぽいの歌ってもつまんない。この人はソウルなのがすごくお似合い!」
というツィートにインスパイアされたからだが、俺の意見としては、昔の歌謡曲は、作曲作詞編曲演奏唄の、それぞれの職人芸を楽しむものではないかと思っている。
あの「音楽って何だ」の近田春夫氏の聴き方とは異なるかもしれないが、とにかく昔の歌謡曲は往々にしてヌルい。しかし、職人芸ズを楽しむものと割り切ってしまえば、とりあえず聴ける。そして、中にはヌルくないものもあるのである。
あんまり長く書くつもりはないが、朱里エイコの場合は、あまりに別格であって、唯一の難点は、パンチのある曲を最初から最後までパンチで押してしまうことだろう。そういう曲でも叙情的な変化を付けられるようになればさらによくなるw サビの部分はまたちょっと違った歌い方がありそうだが、とりあえずまあいいだろう。
そういう意味で、実際に英語で現地で歌っている本物のソウルもあるが、イマイチに思える。
一方、「北国行きで」も、確かにあの難曲をあれだけ歌えるのは見事だが、やっぱり最初からハードにかつ類型的に歌いすぎと思う。
それでは、どれならいいのかといえば、「北国行きで」のB面、「時の流れにのこされて」である。この曲は新しく出たベスト版には入っており、やっぱりと思ったものだ。
「別れの朝」もいい。冒頭(Aメロ)の焦燥感切迫感が他のシンガーより歌えている。いろいろ経験あるんだろう。でも、「千切れるほど手を振る」という歌詞は大いにどころかとてつもなく変だし、後半のAメロ、チェンバロとの掛け合いのギターは妙なところがある。
「恋の衝撃」も面白い出来だ。アレンジ演奏面では、2回目のAメロから入るストリングス、1コーラス終わってサザエさんモード部で聴かれる鋭いベースが聴き所。
「追憶」は、雰囲気がバートバカラック風で、もろに俺好みだが、歌詞は全然ダメだ。全とっかえしたいところ。
「AH SO!」。クレジットこそないが、これこそあのパワーオブタワーを従えて歌っているものだ(先方からオファーされたとのこと(!))。ロッコの「プクプク」ベース、ガリバルディ?ドラムも聴き所だし、パワーがあっていい。しかし、これはソウルでなく、「和製三味線ファンク」というべきだろう。
まだまだ名曲迷曲珍曲変曲はあると思うが、とりあえず。
いかがだろうか。「歌謡曲」っていのは、特に昔のは、洋楽を日本人として徹底的に換骨奪胎したものと思うが(それは近田春夫も同意のはず)、その肝心の当時の洋楽ってのが俺にはわからないので、当時の洋楽のソウルをそのまま歌った方がいいんだ、と言われれば実は反論できませぬ。でも、俺は歌謡曲だからこそ面白いのがあると思ってる。
いろんな意見をお寄せください。
一番語りたかったのは、実はその演奏陣で、特にリズムセクション。
今になってやっとその名を知られるようになった「エレベーター」ベース寺川正興、そして「アフリカン」ドラム石川晶または「大御所orRCC」猪俣猛のコンビである。
(ちなみに例のバンドのドラムのじい師匠が猪俣氏だ)
作曲家、作詞家、アレンジャーについても書きたいが、誌面も少ないのでこれらは後日に回したい。
以上、朱里エイコ研究家、歌謡曲研究家の家所でした。
PS
昔の歌謡曲のよさを今に活かすってのは、昔も今も試みられているが、難しくてなかなか成功しないようだ。俺にもアイデアがないこともないが、どうだろう(どうだろう君)。この点についてもいずれ書いてみたい。
コメント
お体はいかがですか?
カラオケの持ち歌に、朱里エイコの「北国行きで」があり、思わずコメントを入れてしまいました。
今度ぜひ「北国行きで」を聴かせてください。笑
続編というか、次何を書こうか迷ってまして、更新遅くなりましてすいません。