感情モニタリング 残り
2011年10月11日 日常 コメント (1) 河野氏の著作の残りの部分についてリクエストされたので。
これは氏自身、「いきなり言うと信用をなくしかねない」とまで書いておる。
もともと河野氏は心理臨床の専門家で、フロイトやユングの提唱する無意識の理論?にももちろん詳しいが、どちらかというと催眠に近い立場のようだ。
催眠というと、よくわからないイメージもあるが、実際には、自律訓練法と同じで、本人が思ったようにしかならない。
具体例Aを示す。
(省略)
実際に催眠をやっていうくうちに、「自己暗示」「思い」の威力に気づいたのだろう。
また、臨床をやっている人なら皆、心の悩みから人が立ち直るのに、いかに「思い」が重要か、心底知っているはずである。(意欲、モチベーションなどという話でもある)
そのような場を通しての実感として、「人は思ったようになる」があるのだろう。
それを発展させて考えれば、何かを成し遂げるにも、その「思い」は不可欠である。ライト兄弟を見よ。エジソンを見よ。
これは一歩間違うと、「楽して成功する」みたいないかかがわしいものになってしまうが、つまるところ、何かを達成するためにしなければならない努力を、苦痛と感じずに行うための、ひとつのポイントとなるだろう。
「幸運」のような摩訶不思議モノはここでは論じないが、いずれにせよ、運の前に「強い思い」がなければ、やるべき努力もやれない。というか、強い思いがあれば、必要な努力をほとんど無意識的に自ずと行ってしまうのではないか。
逆の例としては、どんなに窮地に陥っても、あきらめてしまうことなしに「なんとかする、なんとかなる」という「思い」が強ければ、結果的に何らかのアクションにつながり、それがチャンスを呼び、そこから脱出することが可能になるのだろう。
というのが俺の解釈なのだが、どうだろうか。
先の催眠の例と関係する次の例Bを挙げる。
(省略)
おわかりだろうか。本当に「思いは魔法」なのである。自分を変えるのも、何かを成し遂げるのも、「自分の思い」だし、人を動かすのは人に「そう思ってもらえばよい」。
さて、この考え方の発展だが、1996年(古い!)時点では、河野氏自身もはっきり行き先が見えているわけではなく、「この新しいテーマに私はワクワクしている。」と述べておられる。
そして、具体的なやり方だが、
1)いろいろな思いや考えが浮かぶだろうが、
2)それをネガティブに捉えている場合は(態度性感情がネガティブなら)、「では本当に望みとする思いはなんなのか」、と自問する。
3)いい「魔法の呪文」が見つかったら、それを唱える(思う)。
4)逆なら、事態はうまくいきつつあるので、その思いや気分をゆっくり確認する。
0)として、客観的な事態・事実を改めて認識したり、あるいは何かを行いながら、ということがあるだろう。思いや考えというのはあくまでまだ事実になってないことであり、思うだけなら今ならなんでも思えることに注意。
のように思う。
もうひとつ重要なのは、ネガティブな思いとは、撲滅すべき敵ではなく、逆転につながる、役に立つ非常に重要なもの、と捉えることである。
「「大いに悩んで、ヒョイヒョイ逆転して、よりよい人生を築く」 この言説が確かな実感を持って受け止められるようになった人は、意図的にプラスの呪文を唱えなくても大丈夫。
ヘタに悩むと、心は傷つき、マイナスになることも多いのが事実ですが、あなたが望む本当の思いを、確かに誤らず思えるようになると、まあ、一人前の魔法使いになったといえます。」
だそうで。
考えるに、今はネガティブに思えてるが本当のところはどうななのか、という疑問が当然浮かぶ。それに当然立ち向かってくるはずの障害を「ない」と思っちゃうのも、あまりに他力本願でないか?
いずれにせよ、もはや二重モニタリングはあんまり関係ない気がする。あれはなんだったのか?
実際、「「これで果たしてうまく二重モニタリングができているのだろうか?」などの不安や心配は、マイナスの呪文となってしまいます。マイナスな呪文、ネガティブな思いに気が付いたら、すぐに「どうなりたいのか」と自分に尋ね、あなたが望むことを呪文にしましょう。」とのこと。
著作権上問題があるかもしれないが、いちおう書いてみた。
PS
その界隈では、願望実現をする際、「金欠状態から脱したい」というように、自分にとって否定的な好ましくない言葉を入れて望んではいけないとされている。
なぜならそれは、今現在金欠であることを認めて(思って)しまうことになるし、また「金欠」という言葉もそれに意識を向けることになり、否定的な思いにつながるからだという。ましてやネガティブな感情?思い?を引きずりながら願うのは厳禁らしい。
そこで、ネガティブな感情?思い?を流し去るために、まず例のクレンジングを徹底的にやりなさい、ということになっている。でも、「クレンジングしなきゃいけない」と思うのも、例によってクレンジングできてないのを認めることになってしまうからダメらしいよ。難しいねえ。笑
これは氏自身、「いきなり言うと信用をなくしかねない」とまで書いておる。
もともと河野氏は心理臨床の専門家で、フロイトやユングの提唱する無意識の理論?にももちろん詳しいが、どちらかというと催眠に近い立場のようだ。
催眠というと、よくわからないイメージもあるが、実際には、自律訓練法と同じで、本人が思ったようにしかならない。
具体例Aを示す。
(省略)
実際に催眠をやっていうくうちに、「自己暗示」「思い」の威力に気づいたのだろう。
また、臨床をやっている人なら皆、心の悩みから人が立ち直るのに、いかに「思い」が重要か、心底知っているはずである。(意欲、モチベーションなどという話でもある)
そのような場を通しての実感として、「人は思ったようになる」があるのだろう。
それを発展させて考えれば、何かを成し遂げるにも、その「思い」は不可欠である。ライト兄弟を見よ。エジソンを見よ。
これは一歩間違うと、「楽して成功する」みたいないかかがわしいものになってしまうが、つまるところ、何かを達成するためにしなければならない努力を、苦痛と感じずに行うための、ひとつのポイントとなるだろう。
「幸運」のような摩訶不思議モノはここでは論じないが、いずれにせよ、運の前に「強い思い」がなければ、やるべき努力もやれない。というか、強い思いがあれば、必要な努力をほとんど無意識的に自ずと行ってしまうのではないか。
逆の例としては、どんなに窮地に陥っても、あきらめてしまうことなしに「なんとかする、なんとかなる」という「思い」が強ければ、結果的に何らかのアクションにつながり、それがチャンスを呼び、そこから脱出することが可能になるのだろう。
というのが俺の解釈なのだが、どうだろうか。
先の催眠の例と関係する次の例Bを挙げる。
(省略)
おわかりだろうか。本当に「思いは魔法」なのである。自分を変えるのも、何かを成し遂げるのも、「自分の思い」だし、人を動かすのは人に「そう思ってもらえばよい」。
さて、この考え方の発展だが、1996年(古い!)時点では、河野氏自身もはっきり行き先が見えているわけではなく、「この新しいテーマに私はワクワクしている。」と述べておられる。
そして、具体的なやり方だが、
1)いろいろな思いや考えが浮かぶだろうが、
2)それをネガティブに捉えている場合は(態度性感情がネガティブなら)、「では本当に望みとする思いはなんなのか」、と自問する。
3)いい「魔法の呪文」が見つかったら、それを唱える(思う)。
4)逆なら、事態はうまくいきつつあるので、その思いや気分をゆっくり確認する。
0)として、客観的な事態・事実を改めて認識したり、あるいは何かを行いながら、ということがあるだろう。思いや考えというのはあくまでまだ事実になってないことであり、思うだけなら今ならなんでも思えることに注意。
のように思う。
もうひとつ重要なのは、ネガティブな思いとは、撲滅すべき敵ではなく、逆転につながる、役に立つ非常に重要なもの、と捉えることである。
「「大いに悩んで、ヒョイヒョイ逆転して、よりよい人生を築く」 この言説が確かな実感を持って受け止められるようになった人は、意図的にプラスの呪文を唱えなくても大丈夫。
ヘタに悩むと、心は傷つき、マイナスになることも多いのが事実ですが、あなたが望む本当の思いを、確かに誤らず思えるようになると、まあ、一人前の魔法使いになったといえます。」
だそうで。
考えるに、今はネガティブに思えてるが本当のところはどうななのか、という疑問が当然浮かぶ。それに当然立ち向かってくるはずの障害を「ない」と思っちゃうのも、あまりに他力本願でないか?
いずれにせよ、もはや二重モニタリングはあんまり関係ない気がする。あれはなんだったのか?
実際、「「これで果たしてうまく二重モニタリングができているのだろうか?」などの不安や心配は、マイナスの呪文となってしまいます。マイナスな呪文、ネガティブな思いに気が付いたら、すぐに「どうなりたいのか」と自分に尋ね、あなたが望むことを呪文にしましょう。」とのこと。
著作権上問題があるかもしれないが、いちおう書いてみた。
PS
その界隈では、願望実現をする際、「金欠状態から脱したい」というように、自分にとって否定的な好ましくない言葉を入れて望んではいけないとされている。
なぜならそれは、今現在金欠であることを認めて(思って)しまうことになるし、また「金欠」という言葉もそれに意識を向けることになり、否定的な思いにつながるからだという。ましてやネガティブな感情?思い?を引きずりながら願うのは厳禁らしい。
そこで、ネガティブな感情?思い?を流し去るために、まず例のクレンジングを徹底的にやりなさい、ということになっている。でも、「クレンジングしなきゃいけない」と思うのも、例によってクレンジングできてないのを認めることになってしまうからダメらしいよ。難しいねえ。笑
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