感情モニタリング その2
2011年10月8日 日常 コメント (1) 感情モニタリングでは、段階によっては、「短め対応」を薦めている。すぐにやり直して再度「どう、気分は?」「まだイヤがってるかい?」などと、重くなく自分に問いかけ、やはりネガティブ感情なら、直ちにやめてしまう、というものである。
「やめる、中断する」と言ってるだけで、ないことにする、とか、無視する、あるいはしっかりとネガティブな感情があることを認める、などといったことは述べていない。
段階が進めば、ちょっと難しいことをやる。(と俺は理解したのだが間違ってるかも)
今、「不快に感じてる感情をどう受け止めてるか」を問いかけている。そして、どうもそれがネガティブで、また別な不快さえ感じている、とする。そうしたら、その「また別な不快さえ感じている」状態を、さらにどう受け止めているか、問いかけるのである。「不快が不快を呼んでる今の自分に気付いてますか? どのような気付き方をしてますか?」ということでもある。
ここでひとつ整理しておきたい。
「どう受け止めているか」「どのような精神状態で関わっているか、気付き方をしているか」あるいは「意識セットをチェック」というのは、別に思いを巡らしたりわけではない。それは感情としてしか現れてこないので、具体的には「気分を感じる」ということだ。ただそれだけ。
ユングのタイプ論によると、「感情(型)」とは、無意識的な「判断や評価」(受け止め方)の結果、自然と生まれてくるもの、それが機能として優越してるタイプ、であることを思い出そう。そして、 行為や思いは一時にひとつしかできないが、感覚や感情は同時に無数に発生することにも注意。
思いや反応性感情を受け止めて発生する態度性感情があったとして、その態度性感情から二次発生している感情。それに意識を向け、感じるのである。
(ひょっとして、反応的感情を一次、態度性感情を二次とするのなら、その対処方は短め対応しかない)
いずれにせよ、「そういう状態をどう受け止めているか」聞いてみると、今問題としてる感情がなんかボケたような、曖昧なものに感じられ、不快感は薄まってくる。
ご想像のとおり、これで不快感が収まらなければ、さらにまた一歩引いてひとつ外側から問いかける、というのを続けていくことができる。これでそのうち、不快感は非常に薄まり、消え去っていくことになる。(のではないか)
表現が異なる人もいる。http://www17.ocn.ne.jp/~kannonji(曹洞宗関係者のようだ)によれば、
「何かを考えたり、思い出していることに気がついたら、すぐに、「どんな気分・感情で考えて(思い出して)いるのか」に注意を向けるようにする。
多くの人は、「考えている内容」だけに気を奪われがちだが、気分や感情は「感じてさえいれば良い」ので、そのコツを掴むと、二重モニタリングは容易にできるようになる。
同時に二つのことを考えるのは不可能だが、、「感じながら考える」ことは心を内に向ける習慣が身に付いていれば、誰でもできるようになる。たとえると、手触りを感じながら新聞を読むような要領」だそうである。
「慣れると、話を聞いている時や、自分が話している時、自分が嫌がっている時、に二重モニタリングができようになり、感情的になって必要以上に相手を責めたり、浮かれてはしゃぎすぎたりすることが無くなる。また、欲求や願望を感じている時に、二重モニタリングすれば、欲求の自己コントロールができるようになる。」ともいう。
この人は、ネガティブな気分であればその態度(受け止め方?)を意識的に改める。そのうち自己コントロールが上達してくる。としているが、これは誤りだろう。
この技法は「感情」モニタリングであり、感情はコントロールできないから感情なのであって、不快さを感じるから受け止め方を変えようとしても、それはできないし、何の解決にもならない。
だたし、態度性感情をただ素直に受け止めていれば、何らかの変容はあるのかもしれない。
他の技法もある。
「まず、イライラしているなど不快な気分の自分にきちんと気づくこと。
それを仮にイライラ象君としよう。その象君に振り回されることなく、一歩引き(具体的には深呼吸をして呼吸に意識を置く)、内なる自分の側からその象君を見つめる。意識を感情の外に出すといってもいい。
象君が来たとき頭で考えだすと、必ず誰かのせいだなどと外側に原因を作り出そうとしてしまう。考えることをせずに、不快な感情をハートに持ってきて、見つめて感じるだけにする。
このように意識を向けつづけると、感情の塊りは溶けて蒸発していく。
象君を少し離れたところから、愛情を持って見守るのだ。しばらくすると、暴れて満足したイライラしてる象君は帰っていく。
うまくいかないときは、「ワタシは今イライラしている」などの言葉を(心の中で)唱え続けると焦点を合わしやすくなる。あるいはハートがキュッとしている、胸がざわざわしている、胃がしめつけられているなど、身体にあらわれる感覚に意識を向けてもよい。
ポイントはしつこく意識を向け続けることで、もう集中できない、と思うところまでやり続けること。時間にして3分から5分ぐらい。
それが終わったら、イライラを感じたきっかけとなる出来事を思い出し、ストレスが感じられなかったらクレンジング成功。
これで、イライラがイライラを呼ぶという負の連鎖が見事に断ち切られる。」
(http://onasu.exblog.jpより)
そう、これは、その筋でクレンジングと呼んでいるもので、願望実現の妨げとなる無意識的なネガティブ感情を消し去るものとされているが、態度性感情を観察するという点で、感情モニタリングに近い。
不快感情が大きすぎる場合にできるかどうかは疑問だが、確か昔、高名な心理学者が自分の感情を観察しようとしたが、それをやるたびに肝心の感情が変容して曖昧なものになってしまい、うまくできなかった、という逸話がその有効性を裏付けているかも。
(続く)
「やめる、中断する」と言ってるだけで、ないことにする、とか、無視する、あるいはしっかりとネガティブな感情があることを認める、などといったことは述べていない。
段階が進めば、ちょっと難しいことをやる。(と俺は理解したのだが間違ってるかも)
今、「不快に感じてる感情をどう受け止めてるか」を問いかけている。そして、どうもそれがネガティブで、また別な不快さえ感じている、とする。そうしたら、その「また別な不快さえ感じている」状態を、さらにどう受け止めているか、問いかけるのである。「不快が不快を呼んでる今の自分に気付いてますか? どのような気付き方をしてますか?」ということでもある。
ここでひとつ整理しておきたい。
「どう受け止めているか」「どのような精神状態で関わっているか、気付き方をしているか」あるいは「意識セットをチェック」というのは、別に思いを巡らしたりわけではない。それは感情としてしか現れてこないので、具体的には「気分を感じる」ということだ。ただそれだけ。
ユングのタイプ論によると、「感情(型)」とは、無意識的な「判断や評価」(受け止め方)の結果、自然と生まれてくるもの、それが機能として優越してるタイプ、であることを思い出そう。そして、 行為や思いは一時にひとつしかできないが、感覚や感情は同時に無数に発生することにも注意。
思いや反応性感情を受け止めて発生する態度性感情があったとして、その態度性感情から二次発生している感情。それに意識を向け、感じるのである。
(ひょっとして、反応的感情を一次、態度性感情を二次とするのなら、その対処方は短め対応しかない)
いずれにせよ、「そういう状態をどう受け止めているか」聞いてみると、今問題としてる感情がなんかボケたような、曖昧なものに感じられ、不快感は薄まってくる。
ご想像のとおり、これで不快感が収まらなければ、さらにまた一歩引いてひとつ外側から問いかける、というのを続けていくことができる。これでそのうち、不快感は非常に薄まり、消え去っていくことになる。(のではないか)
表現が異なる人もいる。http://www17.ocn.ne.jp/~kannonji(曹洞宗関係者のようだ)によれば、
「何かを考えたり、思い出していることに気がついたら、すぐに、「どんな気分・感情で考えて(思い出して)いるのか」に注意を向けるようにする。
多くの人は、「考えている内容」だけに気を奪われがちだが、気分や感情は「感じてさえいれば良い」ので、そのコツを掴むと、二重モニタリングは容易にできるようになる。
同時に二つのことを考えるのは不可能だが、、「感じながら考える」ことは心を内に向ける習慣が身に付いていれば、誰でもできるようになる。たとえると、手触りを感じながら新聞を読むような要領」だそうである。
「慣れると、話を聞いている時や、自分が話している時、自分が嫌がっている時、に二重モニタリングができようになり、感情的になって必要以上に相手を責めたり、浮かれてはしゃぎすぎたりすることが無くなる。また、欲求や願望を感じている時に、二重モニタリングすれば、欲求の自己コントロールができるようになる。」ともいう。
この人は、ネガティブな気分であればその態度(受け止め方?)を意識的に改める。そのうち自己コントロールが上達してくる。としているが、これは誤りだろう。
この技法は「感情」モニタリングであり、感情はコントロールできないから感情なのであって、不快さを感じるから受け止め方を変えようとしても、それはできないし、何の解決にもならない。
だたし、態度性感情をただ素直に受け止めていれば、何らかの変容はあるのかもしれない。
他の技法もある。
「まず、イライラしているなど不快な気分の自分にきちんと気づくこと。
それを仮にイライラ象君としよう。その象君に振り回されることなく、一歩引き(具体的には深呼吸をして呼吸に意識を置く)、内なる自分の側からその象君を見つめる。意識を感情の外に出すといってもいい。
象君が来たとき頭で考えだすと、必ず誰かのせいだなどと外側に原因を作り出そうとしてしまう。考えることをせずに、不快な感情をハートに持ってきて、見つめて感じるだけにする。
このように意識を向けつづけると、感情の塊りは溶けて蒸発していく。
象君を少し離れたところから、愛情を持って見守るのだ。しばらくすると、暴れて満足したイライラしてる象君は帰っていく。
うまくいかないときは、「ワタシは今イライラしている」などの言葉を(心の中で)唱え続けると焦点を合わしやすくなる。あるいはハートがキュッとしている、胸がざわざわしている、胃がしめつけられているなど、身体にあらわれる感覚に意識を向けてもよい。
ポイントはしつこく意識を向け続けることで、もう集中できない、と思うところまでやり続けること。時間にして3分から5分ぐらい。
それが終わったら、イライラを感じたきっかけとなる出来事を思い出し、ストレスが感じられなかったらクレンジング成功。
これで、イライラがイライラを呼ぶという負の連鎖が見事に断ち切られる。」
(http://onasu.exblog.jpより)
そう、これは、その筋でクレンジングと呼んでいるもので、願望実現の妨げとなる無意識的なネガティブ感情を消し去るものとされているが、態度性感情を観察するという点で、感情モニタリングに近い。
不快感情が大きすぎる場合にできるかどうかは疑問だが、確か昔、高名な心理学者が自分の感情を観察しようとしたが、それをやるたびに肝心の感情が変容して曖昧なものになってしまい、うまくできなかった、という逸話がその有効性を裏付けているかも。
(続く)
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