実は2週間を過ぎて8月に入った頃、すでに転院の話が出ていた。
その時、現代の分業制の病院システムを初めて知ったのだが、まあそれはいいとして、実家の近くのI、T、一人暮らししてる近くのKなどのリハビリ病院を教えられたんだが、あれこれ考えて、PTの方にも相談し、第一候補Iで進めてくれとソーシャルワーカーに伝えた。
ところがいつまで待っても音沙汰がない。まるで返事が来ないのは自分のせいじゃないと言わんばかりの無責任な態度。挙句の果てに「Tには行ってみましたか?」と言うので、一応家族が見に行ったら今度は「申し込んで来ましたか?」などと言う。誰が第一候補のはっきりした返事がないのに第二候補に申し込むもんかよ。頭おかしいんじゃないの。
焦ってるのはベッドがそのタイミングで空かないと、それだけ本格リハビリを始めるのが遅れるからなのだが、そうなったのもお前がちゃんとプッシュしなかったからだろうが。「返事がいつくるかわからない」とか言ってんじゃなくてそれをはっきりさせるのが仕事だろうが。別にダメならダメとか、はっきりした返答をいただきたい。そういういいかげんにうやむやにしてしまうのは納得できない。
ということで、やむなくT病院にしたんだが、今でもIだったらどうだったのか、考えてしまう。
あと父親の行動にはだいぶ妹ともども悩まされたんだが、それは書かない。ある日突然一人で現れたのには驚いたが、でも安心させるような話をしてすぐ帰ったのはよくわかってるじゃんと思った。
8月、某バンドの第一期のラストライブが10日モーションであって、ライブに行けずに悶々とする必要がなくなった頃、ナースステーションから一番離れた病棟に移ったが、これは窓側だった(窓側は料金が高い)。しかし、病院としては容態のいい患者は離れた部屋に移していくシステムなんだろうからと、移動を渋るのはやめた。
この部屋は内科にかかってた人もいたのかな? たぶん癌治療だと思うんだが、点滴も打って飲み薬もたくさん飲んでる人もいた。でも痛み止めが多く、夜もなかなか眠れないようで、看護士さんにきつく当たっちゃうのもわかるような感じ。がんばってください。
この病院から去るに当たって、ちょっととまとめ。
リハビリ: 歩けるようにはなっていた程度。自分でもトレーニングでうろうろ動き回ってはいたが、フワフワ感はずっとあったし、ふら付きも結構あった(特に頭を動かしたとき)。OTはいろんなことができるようになっていたみたい。各種テストもよくできていた。STは最初の頃やっていて、確かに舌が動きにくい感じはあったんだが、いつの間にかやらなくなったしなくなった。
痛み等: 左脚が日替わりでいろんなところが痛む。神経とかじゃなくて上から下までつながってる筋腱が一部あるいは大部分みたいな感じで痛むよね。今のところ致命的でないのが救い。膝まわりも常に重い。左上肢は特に不具合を感じない。指先のしびれと全体的な感覚の鈍さだけ。
夢: 印象的な夢をいくつか見た。
みんな電車に乗って移動しようとしており、舞台は結構田舎。誰かと一緒に(相方?)結構山道みたいなのを歩いて駅に着いたが、切符はあらかじめ与えられており、乗れるのは一部(といっても結構多い)の人。相方?は持っており俺は持ってない。どうにもごまかしようもないみたい。しょうがないんで少なからぬ人達と別な駅に歩いて別な列車に乗ったのか乗ろうとしたのか。
これはわかりやすい。あとはお決まりの高校の卒業式の日の夢(いつものパターン)とか。
めし: 旨くはなかった。特に鶏肉が困ったもんだった。量やしょっぱさみたいなのは、こんなもんでいいってのが改めてわかった。結局80kgまで落ちた。
本: 待合室にある面白そうな本は全部呼んだ。松本清朝の時代物の短編に感心。これはいい。
金: はたしていくらかかったやら。まあ命あるだけマシだ。
病院雑感: 男の看護士増えたね。重いものを持つシーンに登場したりして、助け合ってやってる感じで、いいことではないだろうか。
転院の日は、単にタクシーで移動するだけなんだが、娘が来てくれてありがたかった。前に一回来たの、実家に行く計画が上がっていた時で、「奴ら待ってるから」と俺が急がせて1分もいなかったが、今回はさすがにほっとした。
そういえば家族の見舞いに泣き出す病人も結構いる。
転院は、もろもろあって10日から2週間は延びたと思う。
PS
昨日の日記を書いてたら、何か追加を思いついて、暗がりで
「しかしマイナスになった」
とメモしてあるんだが、何を意図してたのかさっぱり。誰か教えて。
その時、現代の分業制の病院システムを初めて知ったのだが、まあそれはいいとして、実家の近くのI、T、一人暮らししてる近くのKなどのリハビリ病院を教えられたんだが、あれこれ考えて、PTの方にも相談し、第一候補Iで進めてくれとソーシャルワーカーに伝えた。
ところがいつまで待っても音沙汰がない。まるで返事が来ないのは自分のせいじゃないと言わんばかりの無責任な態度。挙句の果てに「Tには行ってみましたか?」と言うので、一応家族が見に行ったら今度は「申し込んで来ましたか?」などと言う。誰が第一候補のはっきりした返事がないのに第二候補に申し込むもんかよ。頭おかしいんじゃないの。
焦ってるのはベッドがそのタイミングで空かないと、それだけ本格リハビリを始めるのが遅れるからなのだが、そうなったのもお前がちゃんとプッシュしなかったからだろうが。「返事がいつくるかわからない」とか言ってんじゃなくてそれをはっきりさせるのが仕事だろうが。別にダメならダメとか、はっきりした返答をいただきたい。そういういいかげんにうやむやにしてしまうのは納得できない。
ということで、やむなくT病院にしたんだが、今でもIだったらどうだったのか、考えてしまう。
あと父親の行動にはだいぶ妹ともども悩まされたんだが、それは書かない。ある日突然一人で現れたのには驚いたが、でも安心させるような話をしてすぐ帰ったのはよくわかってるじゃんと思った。
8月、某バンドの第一期のラストライブが10日モーションであって、ライブに行けずに悶々とする必要がなくなった頃、ナースステーションから一番離れた病棟に移ったが、これは窓側だった(窓側は料金が高い)。しかし、病院としては容態のいい患者は離れた部屋に移していくシステムなんだろうからと、移動を渋るのはやめた。
この部屋は内科にかかってた人もいたのかな? たぶん癌治療だと思うんだが、点滴も打って飲み薬もたくさん飲んでる人もいた。でも痛み止めが多く、夜もなかなか眠れないようで、看護士さんにきつく当たっちゃうのもわかるような感じ。がんばってください。
この病院から去るに当たって、ちょっととまとめ。
リハビリ: 歩けるようにはなっていた程度。自分でもトレーニングでうろうろ動き回ってはいたが、フワフワ感はずっとあったし、ふら付きも結構あった(特に頭を動かしたとき)。OTはいろんなことができるようになっていたみたい。各種テストもよくできていた。STは最初の頃やっていて、確かに舌が動きにくい感じはあったんだが、いつの間にかやらなくなったしなくなった。
痛み等: 左脚が日替わりでいろんなところが痛む。神経とかじゃなくて上から下までつながってる筋腱が一部あるいは大部分みたいな感じで痛むよね。今のところ致命的でないのが救い。膝まわりも常に重い。左上肢は特に不具合を感じない。指先のしびれと全体的な感覚の鈍さだけ。
夢: 印象的な夢をいくつか見た。
みんな電車に乗って移動しようとしており、舞台は結構田舎。誰かと一緒に(相方?)結構山道みたいなのを歩いて駅に着いたが、切符はあらかじめ与えられており、乗れるのは一部(といっても結構多い)の人。相方?は持っており俺は持ってない。どうにもごまかしようもないみたい。しょうがないんで少なからぬ人達と別な駅に歩いて別な列車に乗ったのか乗ろうとしたのか。
これはわかりやすい。あとはお決まりの高校の卒業式の日の夢(いつものパターン)とか。
めし: 旨くはなかった。特に鶏肉が困ったもんだった。量やしょっぱさみたいなのは、こんなもんでいいってのが改めてわかった。結局80kgまで落ちた。
本: 待合室にある面白そうな本は全部呼んだ。松本清朝の時代物の短編に感心。これはいい。
金: はたしていくらかかったやら。まあ命あるだけマシだ。
病院雑感: 男の看護士増えたね。重いものを持つシーンに登場したりして、助け合ってやってる感じで、いいことではないだろうか。
転院の日は、単にタクシーで移動するだけなんだが、娘が来てくれてありがたかった。前に一回来たの、実家に行く計画が上がっていた時で、「奴ら待ってるから」と俺が急がせて1分もいなかったが、今回はさすがにほっとした。
そういえば家族の見舞いに泣き出す病人も結構いる。
転院は、もろもろあって10日から2週間は延びたと思う。
PS
昨日の日記を書いてたら、何か追加を思いついて、暗がりで
「しかしマイナスになった」
とメモしてあるんだが、何を意図してたのかさっぱり。誰か教えて。
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