人のことでも書くか。
虎の門病院で見舞いに来てくれたのは、関連会社の仕事関係の方々たちで、倒れたときも付き合ってくれたIさんも転院間近に様子を見に来てくれたりしてありがたかった。
仕事先では社長、専務、役員のお三方が来たかな。役員氏曰く、「頭の中で出た中で血が固まると大変なことになる」だそうで。???よくわかりませぬ。
看護士の間では、実習先として、虎の門と聖路加の二つが人気らしい。
確かに虎の門はほとんど国立みたいな病院で、看護のシステムもきっちりしていると感じた。受け入れナースの本吉さん、ありがとう。皆さんありがとう。プロフェッショナルな姿勢は素晴らしいものでした。7階は内科もあるが、俺のいたところは脳外科メインで、重篤な患者や大オペをする患者も多く、看護士も相当なレベルにないと勤まらないと誰かが言ってましたよ。
最後に知ったが、音楽好きの方(フジロック行った人とか。PTさんもそうだったらしい)も結構いらっしゃったようで、私の秘蔵の音源を後でお送りします。
目が治ってきたのも最後の方で、結局名前は数人しか覚えられなかったのは残念。
医者の先生はまったくわかりません。外科としてもうやれることはない、って言葉を俺に対してだけでなく、何人かにあっさり言ってたなw 基本的に回診は数秒診療で、皆さんお若い。今でも虎の門の脳外科は有名だが、オペもシステマテッィクな感じ。昔風の名医ってのはいないのかも。いるのかも。
患者の方々についてはあんまり書くわけにいかないが、通路を離れて向かいは、交通事故に遭った霞ヶ関の比較的若い公務員(キャリアではないらしい)。始めのうち、「ここは北朝鮮」とか「ブラジル」とか言ってて、話してるのもその言葉だそうで(笑うに笑えない)。そのうち、「自分がなんでここにこうやっていなければならないか理解できない」と盛んに言い出した。交通事故だと前後をまったく覚えておらず、何度説明されても理解できず、安静にしてなきゃいけないのに家に帰っちゃう人もいるみたいね。
この人の母親、ガラが悪かったな。話も自分ら勝手だった。それいんしても交通事故を起こした方も大変だ。
隣はやけに細かい初老の方。首っていうか脊髄?を手術して首カラーを嵌めてて、確かに自分では身動き取れないんだろうが、とにかく細かい。
看護士さんが離れたと思ったら必ず5分後にはナースコールをする。ベッドの角度をちょい変えてくれとかカーテンをもうちょい閉めてくれとか弾性靴下がちゃんと上がり切ってるか見てくれとかナースコールは命綱なんで近くに置いてくれとか。名前とか知りたがって嫌われないようにフレンドリーに話しかけてたようだが、やだねこういう人。案の定、家族の人には細かいリクエストもあっさり無視されているようだった。
そうだ、この人は再入院だったはず。まだ首カラーのある状態で、埼玉のリハビリ病院に移っていったが、本人も周りも大変だろうなあ。
その人が退院して、初老の女性が再入院した。この人を前受け持った看護フさんがいたみたいだが、あまりの変わりようにびっくり(したはず)。歩けるようになって退院したのに、まったく足が立たなくなっていて、体はアザだらけ、床ずれだらけ。食事も満足に取れず、声も聞こえるか聞こえないか。白血球が少ないとか誰か言ってた。
ナースコールも押せずに消え入りそうな声で「トイレに行きたい」とか「苦しい」とかずーっと囁かれるのは、あんまり気分のいいもんじゃないねえ。しょうがないから俺が何回もナースコール押してやったよ。一段落して俺に一声かけて帰った看護婦さん、あれはよかった。
ということで、やっぱり家族っていうかまわりがちゃんとわかっていろいろやってあげないときちんと立ち直れないみたいね。病院の助言が足りないのかもだけど、転ばしちゃダメだし、寝姿も定期的に変えてあげなきゃだし(病人がこれが寝やすいといっても強引に変えないと)、誠意とか?がありさえすりゃいいってもんじゃない。この方の旦那さんも気は使ってるようだが、頭は使ってないねえ。
斜め向かいに最初にいたのはJさんというおばあさんで、なんというか、みんなに愛されるような人。多分この人も再入院で、前に受け持っていた看護婦さんがいて大喜びで話しかけていた。家族も大勢来ていてにぎやかでよかった。本人は「はやくうちにかえりたいよー」と言っており、飯にはちょっとこれは食べられないとかあれが食いたいとか言ってたようだが、駄々をこねるのではなく(この方、大昔は看護婦だったらしい)、いいおばあさんだった。
OTをやってるのを見たが、俺も全然平気な感じじゃんと思った。
そのおばあさんが退院して、今度は口のめちゃくちゃ悪い下町のおじいさんが入ったのかな。その友達が来て話してるのが聞こえてきたが、こいつら何者かと疑ったくらい。
このおじいさん、半側空間無視のようで、またかつての事故かなんかで指も何本かなく(昔は戦場や工場で怪我をするのはめずらしくなかった)、OTは大変だろうなと思った。
てなことでね。ちょっと驚いたのは再入院が多いことで、まず病院の判断が甘いんじゃないかってこと。今のように急性期病院と回復期病院に分かれて分業みたいなことでやるのは大賛成だけど、急性期から退院する場合は、その時点でいわば素人に渡しちゃうわけだから、それなら時期はもっと慎重であるべきだし、本人やまわりにも十分な教育をしなければダメだろう。まあそういった役割をする人もいないんだろうけど。
文中はフィクションがだいぶ含まれます。
PS
俺の大学の部活の後輩が聖路加病院で看護部長をやり、その後は聖路加の大学の方へ看護の教鞭を取ったとか。しかし名前は旧名は覚えているがそれだけなので、検索のしようがないですね。
虎の門病院で見舞いに来てくれたのは、関連会社の仕事関係の方々たちで、倒れたときも付き合ってくれたIさんも転院間近に様子を見に来てくれたりしてありがたかった。
仕事先では社長、専務、役員のお三方が来たかな。役員氏曰く、「頭の中で出た中で血が固まると大変なことになる」だそうで。???よくわかりませぬ。
看護士の間では、実習先として、虎の門と聖路加の二つが人気らしい。
確かに虎の門はほとんど国立みたいな病院で、看護のシステムもきっちりしていると感じた。受け入れナースの本吉さん、ありがとう。皆さんありがとう。プロフェッショナルな姿勢は素晴らしいものでした。7階は内科もあるが、俺のいたところは脳外科メインで、重篤な患者や大オペをする患者も多く、看護士も相当なレベルにないと勤まらないと誰かが言ってましたよ。
最後に知ったが、音楽好きの方(フジロック行った人とか。PTさんもそうだったらしい)も結構いらっしゃったようで、私の秘蔵の音源を後でお送りします。
目が治ってきたのも最後の方で、結局名前は数人しか覚えられなかったのは残念。
医者の先生はまったくわかりません。外科としてもうやれることはない、って言葉を俺に対してだけでなく、何人かにあっさり言ってたなw 基本的に回診は数秒診療で、皆さんお若い。今でも虎の門の脳外科は有名だが、オペもシステマテッィクな感じ。昔風の名医ってのはいないのかも。いるのかも。
患者の方々についてはあんまり書くわけにいかないが、通路を離れて向かいは、交通事故に遭った霞ヶ関の比較的若い公務員(キャリアではないらしい)。始めのうち、「ここは北朝鮮」とか「ブラジル」とか言ってて、話してるのもその言葉だそうで(笑うに笑えない)。そのうち、「自分がなんでここにこうやっていなければならないか理解できない」と盛んに言い出した。交通事故だと前後をまったく覚えておらず、何度説明されても理解できず、安静にしてなきゃいけないのに家に帰っちゃう人もいるみたいね。
この人の母親、ガラが悪かったな。話も自分ら勝手だった。それいんしても交通事故を起こした方も大変だ。
隣はやけに細かい初老の方。首っていうか脊髄?を手術して首カラーを嵌めてて、確かに自分では身動き取れないんだろうが、とにかく細かい。
看護士さんが離れたと思ったら必ず5分後にはナースコールをする。ベッドの角度をちょい変えてくれとかカーテンをもうちょい閉めてくれとか弾性靴下がちゃんと上がり切ってるか見てくれとかナースコールは命綱なんで近くに置いてくれとか。名前とか知りたがって嫌われないようにフレンドリーに話しかけてたようだが、やだねこういう人。案の定、家族の人には細かいリクエストもあっさり無視されているようだった。
そうだ、この人は再入院だったはず。まだ首カラーのある状態で、埼玉のリハビリ病院に移っていったが、本人も周りも大変だろうなあ。
その人が退院して、初老の女性が再入院した。この人を前受け持った看護フさんがいたみたいだが、あまりの変わりようにびっくり(したはず)。歩けるようになって退院したのに、まったく足が立たなくなっていて、体はアザだらけ、床ずれだらけ。食事も満足に取れず、声も聞こえるか聞こえないか。白血球が少ないとか誰か言ってた。
ナースコールも押せずに消え入りそうな声で「トイレに行きたい」とか「苦しい」とかずーっと囁かれるのは、あんまり気分のいいもんじゃないねえ。しょうがないから俺が何回もナースコール押してやったよ。一段落して俺に一声かけて帰った看護婦さん、あれはよかった。
ということで、やっぱり家族っていうかまわりがちゃんとわかっていろいろやってあげないときちんと立ち直れないみたいね。病院の助言が足りないのかもだけど、転ばしちゃダメだし、寝姿も定期的に変えてあげなきゃだし(病人がこれが寝やすいといっても強引に変えないと)、誠意とか?がありさえすりゃいいってもんじゃない。この方の旦那さんも気は使ってるようだが、頭は使ってないねえ。
斜め向かいに最初にいたのはJさんというおばあさんで、なんというか、みんなに愛されるような人。多分この人も再入院で、前に受け持っていた看護婦さんがいて大喜びで話しかけていた。家族も大勢来ていてにぎやかでよかった。本人は「はやくうちにかえりたいよー」と言っており、飯にはちょっとこれは食べられないとかあれが食いたいとか言ってたようだが、駄々をこねるのではなく(この方、大昔は看護婦だったらしい)、いいおばあさんだった。
OTをやってるのを見たが、俺も全然平気な感じじゃんと思った。
そのおばあさんが退院して、今度は口のめちゃくちゃ悪い下町のおじいさんが入ったのかな。その友達が来て話してるのが聞こえてきたが、こいつら何者かと疑ったくらい。
このおじいさん、半側空間無視のようで、またかつての事故かなんかで指も何本かなく(昔は戦場や工場で怪我をするのはめずらしくなかった)、OTは大変だろうなと思った。
てなことでね。ちょっと驚いたのは再入院が多いことで、まず病院の判断が甘いんじゃないかってこと。今のように急性期病院と回復期病院に分かれて分業みたいなことでやるのは大賛成だけど、急性期から退院する場合は、その時点でいわば素人に渡しちゃうわけだから、それなら時期はもっと慎重であるべきだし、本人やまわりにも十分な教育をしなければダメだろう。まあそういった役割をする人もいないんだろうけど。
文中はフィクションがだいぶ含まれます。
PS
俺の大学の部活の後輩が聖路加病院で看護部長をやり、その後は聖路加の大学の方へ看護の教鞭を取ったとか。しかし名前は旧名は覚えているがそれだけなので、検索のしようがないですね。
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