4人部屋に移されてからのことでも書くか。
しばらくは入院するんだろうから、何をやろうかと考えていた。
とはいっても、さすがに誰もノートパソコンを持ってきてはくれそうもなかったんで、携帯で情報を集めなければならず、改めて使い方を調べ出したりしたんだが、取説がないんで往生した。
特に、某バンドに関してブログやらツイッターで調べ出して、操作もだいぶ覚えたんだが、特に7月末のフジロックがね・・・・・・。途中で電波の具合が変になっちゃってリセットかけた方がよさそうなんだがそのやり方もわからないし、電池も外せないしで、2時ころから始まったのかな? 結局間に合わないどころか4時過ぎまであれこれ苦闘していた。
たまたま某バンドは8月10日のモーションでライブは一区切りだったんで、まあ心置きなく入院できるというもんだった。
で、最初にやろうとしたのは、楽器(特にベース)でも直してプリアンプやら作れるようになるか、ってことで、電気回路、電子回路、メーカー(SGCrraftsとTokai)のサイトを見ていた。心に温めていた例のベースをTokaiのOEMで作ってもらうか・・・・・。エレクトロニクスはあのyanmoさんと話せるくらいにはならないとなあ。ということで、携帯見ながらラプラス変換までは勉強しました。これはわかる。しかしコイルがわからん。
あと、リハビリはゴルフでもやるかと思った。これは9月末現在、まだ調べ中。
当然ながらリハビリも調べた。これはインナーマッスル、コアトレーニングってやつだな。これは奥が深いねえ。でも結局トレーニングだけでは嫌になっちゃって続かないだろうから、いかにゴルフとか趣味のものに結び付けるかがポイントだろう。
急に思いついたのが、前やろうとしていた感情モニタリングってやつ。これ最重要だと今も思ってるが、9月末現在、ちょっと頓挫している。
あとは何だろ、WEBだのSmalltalkだの興味ありそうなことはちょっと調べてみた。
リハビリの自主トレはある程度はやった。ストレッチとか。指回しとかピント外れも多かったはずだが、後になって継ぎ足をしてバランスが崩れたときに脚が出るかってのを意識してやってたが、これは当を得ていたと思う。
目の運動はちょっとは効果があったのか、複視は直っていったが、何が効果あるのかわからず、メニューを減らすことができなかった。今も時々やっている。
俺の父親が40代のとき(40年近く前)、脳腫瘍を患って、奇しくもこの虎の門病院に入院していたことがあったのだが、その話も改めて聞いた。知らないこともたくさんあった。
症状は耳鳴りから始まり、調べた結果は悪性腫瘍ではなかったのこと。しかひがまんできないほどだったので除去の手術を行うことになったが、当時はCT等もなかったらしく、そもそも位置や大きさも明確ではなかったとのこと。開けてみたら、想定通りだったそうで、半分を耳側、残り半分を頭側から2日に分けて手術したとのこと。このやり方は画期的だったらしい。
同時期、同じような症状で手術した方もいたらしいが、腫瘍のわずかな位置や大きさの違いで社会復帰できなかったりしたそうだ。
当時はリハビリも今ほどしっかり行われてはおらず、とりあえず歩けるようになったら退院だったらしい。病院内を遅くまで歩いて怒られたとのこと。まあ若かったし体力も気力もあったんだろう。おそらく自己流のリハビリをハードにやったのではないかと。w
でも、外に出たら最初は一歩も踏み出せなかったと言っていた。
んで退院3日後には会社に出たが、一駅ごとにホームに出て休んだとも。
んで帰りが遅くなって母親があらぬことを心配したとか。
こういう病気をすると必ず思うことは、これまでの生き方はできない、変えていかなければならない、ということであるが、父親もそう思ったとのこと。
しかし、父親以外は「そうはまったく思えない」と意見は一致した。
でもスローライフというか、仕事先が恵まれていたんだろう、ゆるく勤めても大丈夫だったようだ。
いずれにせよ、病人の気持ちは確かに結構わかっていたみたい。
また、虎の門病院も実に久しぶりに訪ねて、感慨深いものがあったようだ。
しばらくは入院するんだろうから、何をやろうかと考えていた。
とはいっても、さすがに誰もノートパソコンを持ってきてはくれそうもなかったんで、携帯で情報を集めなければならず、改めて使い方を調べ出したりしたんだが、取説がないんで往生した。
特に、某バンドに関してブログやらツイッターで調べ出して、操作もだいぶ覚えたんだが、特に7月末のフジロックがね・・・・・・。途中で電波の具合が変になっちゃってリセットかけた方がよさそうなんだがそのやり方もわからないし、電池も外せないしで、2時ころから始まったのかな? 結局間に合わないどころか4時過ぎまであれこれ苦闘していた。
たまたま某バンドは8月10日のモーションでライブは一区切りだったんで、まあ心置きなく入院できるというもんだった。
で、最初にやろうとしたのは、楽器(特にベース)でも直してプリアンプやら作れるようになるか、ってことで、電気回路、電子回路、メーカー(SGCrraftsとTokai)のサイトを見ていた。心に温めていた例のベースをTokaiのOEMで作ってもらうか・・・・・。エレクトロニクスはあのyanmoさんと話せるくらいにはならないとなあ。ということで、携帯見ながらラプラス変換までは勉強しました。これはわかる。しかしコイルがわからん。
あと、リハビリはゴルフでもやるかと思った。これは9月末現在、まだ調べ中。
当然ながらリハビリも調べた。これはインナーマッスル、コアトレーニングってやつだな。これは奥が深いねえ。でも結局トレーニングだけでは嫌になっちゃって続かないだろうから、いかにゴルフとか趣味のものに結び付けるかがポイントだろう。
急に思いついたのが、前やろうとしていた感情モニタリングってやつ。これ最重要だと今も思ってるが、9月末現在、ちょっと頓挫している。
あとは何だろ、WEBだのSmalltalkだの興味ありそうなことはちょっと調べてみた。
リハビリの自主トレはある程度はやった。ストレッチとか。指回しとかピント外れも多かったはずだが、後になって継ぎ足をしてバランスが崩れたときに脚が出るかってのを意識してやってたが、これは当を得ていたと思う。
目の運動はちょっとは効果があったのか、複視は直っていったが、何が効果あるのかわからず、メニューを減らすことができなかった。今も時々やっている。
俺の父親が40代のとき(40年近く前)、脳腫瘍を患って、奇しくもこの虎の門病院に入院していたことがあったのだが、その話も改めて聞いた。知らないこともたくさんあった。
症状は耳鳴りから始まり、調べた結果は悪性腫瘍ではなかったのこと。しかひがまんできないほどだったので除去の手術を行うことになったが、当時はCT等もなかったらしく、そもそも位置や大きさも明確ではなかったとのこと。開けてみたら、想定通りだったそうで、半分を耳側、残り半分を頭側から2日に分けて手術したとのこと。このやり方は画期的だったらしい。
同時期、同じような症状で手術した方もいたらしいが、腫瘍のわずかな位置や大きさの違いで社会復帰できなかったりしたそうだ。
当時はリハビリも今ほどしっかり行われてはおらず、とりあえず歩けるようになったら退院だったらしい。病院内を遅くまで歩いて怒られたとのこと。まあ若かったし体力も気力もあったんだろう。おそらく自己流のリハビリをハードにやったのではないかと。w
でも、外に出たら最初は一歩も踏み出せなかったと言っていた。
んで退院3日後には会社に出たが、一駅ごとにホームに出て休んだとも。
んで帰りが遅くなって母親があらぬことを心配したとか。
こういう病気をすると必ず思うことは、これまでの生き方はできない、変えていかなければならない、ということであるが、父親もそう思ったとのこと。
しかし、父親以外は「そうはまったく思えない」と意見は一致した。
でもスローライフというか、仕事先が恵まれていたんだろう、ゆるく勤めても大丈夫だったようだ。
いずれにせよ、病人の気持ちは確かに結構わかっていたみたい。
また、虎の門病院も実に久しぶりに訪ねて、感慨深いものがあったようだ。
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