3日後、集中治療?ベッドから要監視患者の4人部屋に移された。たぶん点滴に入れた血圧を下げる薬も効き、容態も安定し出したんだろう。
 まだ身動きはとれなかったが、外の音を興味深く聞いていた。

 印象深かったのは、「○○ちゃん」と呼ばれていた、高校生の女の子(らしい)。友達や家族が来て、いろいろ明るいこと、将来的なことを話しかけていたが、ついぞ本人の声は聞いたことがなかった。
 ○○さん、元気になったんだろうか。

 もうひとりは、初老らしき夫が低音でやさしくソフトにずーーーっと語りかけ続ける、その奥さん(らしい人)。
 やはり本人の声を聞くことはなかった。

 もう一方印象に残ったのは、結構偉そうにしゃべる、伝統工芸品(硯とかの書道関連品だろうか)の修理等を行ってるらしい、たぶん初老の男の人。
 退院したその日に倒れて再入院と聞いて驚いたが、それも2回目と聞いてまた驚き。てんかんのような発作とか言ってたな。
 家族の話も聞こえてきたが、なんかよくわからないが、ガイジンの話が多かった。子供も後を継がず、若い日本人は厳しい修行を嫌い、かえって外国からやってきたガイジンの方が残るんだろうなと納得。

 この病室には数日しかいなかったと思う。今度はちょっとナースステーションから少し距離のある4人部屋。

 移って、割とすぐに立ち上がることはできて車椅子生活となったが、複視とそのためもあってか目が廻るのには参った。
 食事の時など、正直、暗澹たる気持ちだったが、「まあ命があるだけマシ」とも思っていた。
 しかし、少し両目の焦点が合いそうな視界の角度がある気がして、意地で文庫本を呼んでいた。(相当の努力を要した)

 4人部屋に移って、最初の風呂は寝たまま洗ってくれるやつで、やってくれるのは若い看護フさん一名と、それに大学からの実習女性2名で、うん、あれは確かに天国だった。こういう経験はなかなかできないだろう。

 と思いきや、体重測定の際、見事にそれごとコケてしまい、やっとベッド周りの柵とかなくなったのに、模範囚からあっという間に要注意患者に逆戻り。
 それにしても、兆候を感じてそれに対応するってのがまだできないのを痛感。

 体重は、この時点で80kg半ばって感じだったかな。もう10kg近く痩せていたのかも知らん。食事は、うまくはなかったが、ああこんなものでいいのかと思ったし、そもそも腹も空かなかったし、食欲もそれほどなかった。

 そうそう、検査は造影剤ってのをやった。ソケイ部から入れるやつ。時間もかかるしあんまり気持ちのいいもんじゃないっていうか、もうちょっとで焼け死ぬかと思ったよ。

コメント

nophoto
Ellen
2013年4月15日0:35

Wow, that’s a really clever way of thniknig about it!

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