驚愕の幸せの黄色いリボン
2008年10月31日 日常「幸せの黄色いリボン」という、アーウィンレヴィンとLラッセルブラウンのコンビによる、「トニーオーランド&ドーン」が歌って1973年全米No.1となった有名な歌があるが、つい最近もfoxチャンネルの何かの番組で使われていた。まあ軽快で楽しげな歌だよな。
ところが、歌詞がテロップで流れてて驚愕。
知ってる人もいるだろうが、大体こんな感じ。
「3年の刑期を終えて家に向かってるが、もしまだ俺を必要としてるなら、手紙に書いておいた通り、黄色いリボンをオークの木に巻いておいてくれ。
でも、君が結婚していたり、俺とやり直せないと思うならリボンは巻かないでいい。
リボンが巻いてなければ、俺はそのままバスに乗ったままどこか遠くへ行く。
(中略)
バスの運転手さん、俺にはとても見る勇気がないんで代わりに見てくれないか。
(後略)」
しかしまあ、ここまで、なんともものすごいシチュエーションだ。
もし自分だったらどんな心境になるのか、想像を絶するものがあるが、とにかく究極の精神状態としかいえそうもない。
で、それを妙にハッピーなアレンジと演奏で歌うので、ここまでの部分、聴きながら、泣いていいのか笑っていいのか、もうさっぱり全然わからない。なんか日本人にはないメンタリティというか、突き抜けすぎている。一歩どころでなく。
さて、どのような結果が待っていたか、infoseek様の見事な翻訳により紹介しよう。
全部のひどいバスが喝采している今
そして、私はわかったと思っていることができません
『古いオークの木のまわりで100の黄色のリボン
私は家に帰っています、うーん、うーん
(『古いオークの木のまわりでリボンを結んでください)
(『古いオークの木のまわりでリボンを結んでください)
(『古いオークの木のまわりでリボンを結んでください)
「うーん、うーん」ってのが実に文学的ですね。
しかし、断言するが、ピートハミルの書いたように物語にするなら別として、楽曲としてはあの曲調のまま結末を示さずに終わらせる方が、はるかに凄みがあると思う。
PS1 皆さんはどうお考えでしょうか?
PS2 少なくとも手紙の部分は実話だそうです。
PS3 「思い出のグリーングラス」も囚人の思いを歌ったものですけど、いわば「罪と罰」についての捉え方が日本とはずいぶん違うように思われます。聖書なんかでも根源的なテーマとして扱われてるような気がする。
ところが、歌詞がテロップで流れてて驚愕。
知ってる人もいるだろうが、大体こんな感じ。
「3年の刑期を終えて家に向かってるが、もしまだ俺を必要としてるなら、手紙に書いておいた通り、黄色いリボンをオークの木に巻いておいてくれ。
でも、君が結婚していたり、俺とやり直せないと思うならリボンは巻かないでいい。
リボンが巻いてなければ、俺はそのままバスに乗ったままどこか遠くへ行く。
(中略)
バスの運転手さん、俺にはとても見る勇気がないんで代わりに見てくれないか。
(後略)」
しかしまあ、ここまで、なんともものすごいシチュエーションだ。
もし自分だったらどんな心境になるのか、想像を絶するものがあるが、とにかく究極の精神状態としかいえそうもない。
で、それを妙にハッピーなアレンジと演奏で歌うので、ここまでの部分、聴きながら、泣いていいのか笑っていいのか、もうさっぱり全然わからない。なんか日本人にはないメンタリティというか、突き抜けすぎている。一歩どころでなく。
さて、どのような結果が待っていたか、infoseek様の見事な翻訳により紹介しよう。
全部のひどいバスが喝采している今
そして、私はわかったと思っていることができません
『古いオークの木のまわりで100の黄色のリボン
私は家に帰っています、うーん、うーん
(『古いオークの木のまわりでリボンを結んでください)
(『古いオークの木のまわりでリボンを結んでください)
(『古いオークの木のまわりでリボンを結んでください)
「うーん、うーん」ってのが実に文学的ですね。
しかし、断言するが、ピートハミルの書いたように物語にするなら別として、楽曲としてはあの曲調のまま結末を示さずに終わらせる方が、はるかに凄みがあると思う。
PS1 皆さんはどうお考えでしょうか?
PS2 少なくとも手紙の部分は実話だそうです。
PS3 「思い出のグリーングラス」も囚人の思いを歌ったものですけど、いわば「罪と罰」についての捉え方が日本とはずいぶん違うように思われます。聖書なんかでも根源的なテーマとして扱われてるような気がする。
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