ちょっと説明してみる。
2007年6月19日このところ書いたものだけど、何のこっちゃかさっぱりわからないと思うので、ちょっと説明してみたい。これでこの話題は終わりにして、またいつものネタに戻ろうと思うので。
そもそも俺はとてもやさしい人間なんだが、愛憎が極端に激しく、また一方で人間嫌いときている。
そのためどういうことが起きるかというと、たとえばある人がいったん「憎」の方に回った時にひどく攻撃したり、もし攻撃できない場合は自分が荒れたりする。
そして、もともとのやさしさをごく一部の人に対してしか発揮できない傾向があり、たとえば見知らぬ困った人には結構冷淡であったり、あるいはこういうところの文章では頭で「いい話」を書けても、リアルには人付き合いもほとんどなかったり。
実際、見知らぬ人に対してもやさしい人っているじゃん。「我が身にひきかえて」感じられる人っていうか。「人類愛」とかの観念的な話じゃなく、実際にどう見てもあんまり好感を持てそうもない人(笑)を目の前にしてもさ。
まあ特には優しくできなくても、予断なしにニュートラルに接することができれば十分と思うんだけど、それが俺にはなかなか難しい。
(たぶん敵か味方をすぐ判断したがるんだろうね。それも悲観的に。動物的本能としてはなんとなく正しいような気もするけど笑)
「憎」の方に回りそうな人に対しても、なんというか、そうなる前に言いにくいけど言うことは言ってきちんとコミュニケーションとるとかができればいいよなあ。
「汝の敵を愛せよ」と言うけど、これに「目の前の」と付けて、具体的かつリアルな話とすると、これがまた難しい。
てなことで、そういった意味で度量の広い、やさしい人間になりたいもんだと思っとります。
一昨日まで、いろいろあって殺伐な気分や考えに支配されてたんですが、昨日の朝方、いろんな夢を見てまして、起きたらなんかこう目の前がぱっと晴れてたっていうか。
「「敵」や「憎」に対してもそんなに悪感情にとらわれて自分も相手も不幸にすることないじゃん、もっと(自分にとって)楽に行こうぜ」みたいな。
なんかおかげさまで仕事も結構意欲的です。
嫌だ嫌だと思ってる仕事も気楽にナメてかかればかえってなんとかなるもんです。それはもちろん昔から頭ではわかってるんですが、実際にそうできるかどうかが問題でね。
夢って不思議です。
PS
しかしまだ実際には全然です。そこんとこ誤解なきよう。
そもそも俺はとてもやさしい人間なんだが、愛憎が極端に激しく、また一方で人間嫌いときている。
そのためどういうことが起きるかというと、たとえばある人がいったん「憎」の方に回った時にひどく攻撃したり、もし攻撃できない場合は自分が荒れたりする。
そして、もともとのやさしさをごく一部の人に対してしか発揮できない傾向があり、たとえば見知らぬ困った人には結構冷淡であったり、あるいはこういうところの文章では頭で「いい話」を書けても、リアルには人付き合いもほとんどなかったり。
実際、見知らぬ人に対してもやさしい人っているじゃん。「我が身にひきかえて」感じられる人っていうか。「人類愛」とかの観念的な話じゃなく、実際にどう見てもあんまり好感を持てそうもない人(笑)を目の前にしてもさ。
まあ特には優しくできなくても、予断なしにニュートラルに接することができれば十分と思うんだけど、それが俺にはなかなか難しい。
(たぶん敵か味方をすぐ判断したがるんだろうね。それも悲観的に。動物的本能としてはなんとなく正しいような気もするけど笑)
「憎」の方に回りそうな人に対しても、なんというか、そうなる前に言いにくいけど言うことは言ってきちんとコミュニケーションとるとかができればいいよなあ。
「汝の敵を愛せよ」と言うけど、これに「目の前の」と付けて、具体的かつリアルな話とすると、これがまた難しい。
てなことで、そういった意味で度量の広い、やさしい人間になりたいもんだと思っとります。
一昨日まで、いろいろあって殺伐な気分や考えに支配されてたんですが、昨日の朝方、いろんな夢を見てまして、起きたらなんかこう目の前がぱっと晴れてたっていうか。
「「敵」や「憎」に対してもそんなに悪感情にとらわれて自分も相手も不幸にすることないじゃん、もっと(自分にとって)楽に行こうぜ」みたいな。
なんかおかげさまで仕事も結構意欲的です。
嫌だ嫌だと思ってる仕事も気楽にナメてかかればかえってなんとかなるもんです。それはもちろん昔から頭ではわかってるんですが、実際にそうできるかどうかが問題でね。
夢って不思議です。
PS
しかしまだ実際には全然です。そこんとこ誤解なきよう。
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