これを書いてるのは5月12日なんだが、今朝、文章書きの仕事をしながら24を見てたら、以前見て印象的だったシーンに再び遭遇したので、忘れないうちに書いておきたい。

海外のこういうドラマ(ということはエンターテイメント系小説もだが)には、ときどき心に残るシーンやセリフがあるのがすごいと思う。相当な気迫で脚本を書いてるに違いない。

それは、CTUロス支局長のエレン・ドリスコル(この人イイ!)の娘さんが自殺してしまい、落ち込んでる(なんてもんじゃないが)ところに、国防長官が話しかける内容である。

「エリン、家に帰った方がいい。」
「帰るのが怖いんです。」
「妻が死んだとき、私はそれに向き合わなかった。次の日は普通に仕事に行った。自分に言い聞かせてね。これが人生、乗り越えなければいけない、と。
しかし、2、3週間ほどして妻が死んだことを知らない知人から「いますか?」と電話があったとき、私は「妻は亡くなりました」と答えた。その瞬間、口に出した自分の言葉を聴いて、はじめて、押し殺していた苦しみが溢れてどうにもならなかった。
エりン、溜め込んじゃいけない。泣いて、神を恨んで、自分を責め、そしてまた泣けばいい。そのあいだ、親しい人たちに助けてもらえ。それでいい。とてもつらいがな。本当に、本当に残念だ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・家に帰ります。」
「私はいつでもフロアにいる。」

以前見たときも深く考え込んでしまったのを思い出すが、改めて見てとても感動した。

人生にはいろいろな別離があると思うが、それをどのように自分の心の中に位置づけるかはとても大切な問題だと思う。
しかし、まずはその別離をきちんと認識し、それに伴う感情をちゃんと体験しなければ次に進めないのだろう。
(・・・・・・自分で書いてて耳に痛いです)

しかしそのあとの話として、「いい経験になった」「あれがあったから今の自分がある」とは、俺としては口が裂けても言いたくない。
決して風化や美化させず、痛くあるべき別離は痛いまま、悲しくあるべきは悲しいまま、いつまでもわだかまりを抱えて行きたいと思ってる。でもたぶんそれは難しいんだろうな。
 
 
PS
 普通の?死による別離は、たしかに悲しいですが、「悲しくあるべき」とは違うと思ってます。
 

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