趙非さんの言葉
2005年4月18日 その趙非さんの言葉ですが、ずっと後になって、椎名林檎や宇多田ヒカルが「自分の歌は好きじゃない」と発言している件について思い当りました。「客観視がまだできないのだろうか」とのコメントを見たことがありますが(近田春夫だったかな?)、そういうもんじゃないわけです。
たとえば文章の場合、何にせよ部分的に物事を切り取るものなので、自分で書いたものの良し悪しは自分でもわかります。
しかし、歌には「全人格」がモロに出てしまうとすれば、これは客観視は無理ですね。誰にでも(自分で重大と思う)欠点はあるわけで。
それを完璧に客観視できる人はもう自己変革の必要のない、棺桶に片足突っ込んでるような人だけです。
たとえば文章の場合、何にせよ部分的に物事を切り取るものなので、自分で書いたものの良し悪しは自分でもわかります。
しかし、歌には「全人格」がモロに出てしまうとすれば、これは客観視は無理ですね。誰にでも(自分で重大と思う)欠点はあるわけで。
それを完璧に客観視できる人はもう自己変革の必要のない、棺桶に片足突っ込んでるような人だけです。
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