と言ったのはマルクスですが、私はそれはどうかと考えてます。

 でも、一理はあると思うんです。
 たとえば、ご利益第一主義の新興宗教。近所というほどでもありませんが近くにありまして、すごい人を集めて建物もたくさん増えつづけてます。なんだかよくわかりません。

 宗教を信じる人が善人だとは限らないです。
 生臭坊主の例もありますし、欧米でも敬虔なクリスチャンのマフィアやギャングなんてのもザラです。なんかその教祖が説いてる本質とはまた違ったところで受け入れられてるようです。

 もっと基本的には、宗教の悪い一面というのは、それで救われると思ってしまうことです。(断言
 ちょっとニュアンスが難しいのですが、宗教を深く信じ込んでいる人って、なんか生き方が無責任になっている場合があると思いませんか? きちんと自分のものとして受け止めていないというか・・・。
 やっぱりそれは、苦悩なり決断なりをどこかに肩代わりさせてしまっているからなんだろうと思います。
 まあはっきりいいまして、たとえば懺悔することで悩みが軽くなるとか、あるいは死後の世界がどうこうとかを信じ、あるいは念仏を唱えることで救われるとか、そういうことは絶対にありません。

 でもやっぱり、宗教は必要であると私は思います。その意味は何か?って聞かれそうですね。
 私見によれば、それは「正しい悩みを正しく悩むこと」を教えてくれるものであります。

 まあ、人生の師とか座右の銘(書)とかでも同じようなものなんでしょうが、それだけではありません。
 単に仏陀やキリストの言ったことを理解するだけじゃ宗教じゃないんですね。それは未知のよくわからないものに対する畏怖(ヌミノース)というものであり、その点でやはり人間に必要なものなのではないでしょうか。
 
  
PS
 キリスト教ネタを書いていたときにちょっと考えてたものをまとめてみました。
 もちろん、正しい悩みを正しく悩めないで困っているのは私自身であります。
 

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