聖書研究家の家所です。

 これはアラム語で「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味でして、イエスの最後の言葉として有名だと思いますが、どう解釈するかは諸説あるようです。

 まず、真贋については、新約の中でも最も古く信頼度の高いマルコに載っているので問題ないでしょう。
 さて、これはもちろん、旧約の「詩篇」第22編冒頭の文句であります。
 で、問題は、イエスが詩篇を読み上げたかったのか、あるいはこの言葉そのものを言いたかったのかということです。
 普通に考えて、これはユダヤ教の改革を叫んだ偉大な宗教家の最後の言葉らしくはありませんね。
 後世のキリスト教本部もずいぶん困ったらしく、今でも説教などでは煙に巻いたような説明をしてます。
 これじゃあ、イエスは最後の最後で改宗というか、神を捨てた(転んだ)という説が出てくるのも当然です。

 では、詩篇を読み上げたというのはどうでしょうか。
 私は内容は知らないんですが、なんでも最後は31編途中の「私は御手に魂をゆだねます。」で終わるという説が有力らしいです。新約では、旧約からの引用は全部を記さないという通例になっているというのがその根拠のひとつです。

 これなら雰囲気としてはまあうなずけますが、31編途中っていうのがなんとも恣意的ですね。ノストラダムス解釈本とそれほど変わらない感じもします。
 
 
PS
 マルコの元本(原マルコ)には、イエスの復活の記載はありません。死体がなくなって皆が驚くところまでです。それ以降は後世の創作であります。

 ところで、イエスは磔刑後、ジンギスカンになったとか日本に来たとかいうトンデモ説もあるようですが、さすがに私もついていけません。
 

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

最新のコメント

日記内を検索