今日は書き殴りです。

 久しぶりに本屋に寄ったら、以前にちょっと触れた「聖の青春」が文庫本化されているのをハケーン。
 どれどれ解説はと見てみたら、父親が書いていて、面白い情報がいくつかあった。

 例を挙げると、部屋からは藤沢周平が30冊以上出てきたとのこと。すごくわかるような気がする。
 あと、何事にも「プロとして鑑賞に耐えるか」をシビアな目で見ていたそうである。なるほど、だからああいう将棋なのか。
 でも、体調もあり、ふがいない棋譜もいくつか残さざるを得なかったのはすごく残念だったろうと思う。

 で、その「プロとして鑑賞に耐えるか」というのを一歩進めて、「それが人間のやるものとして最高レベルにあるか」ということについては、私も結構シビアに見ている。
 
 たとえばサッカー。正確な意味では違うが国別対抗のワールドカップでは、チームとしては必ずしも最強かどうかは疑問符は付くが、個人能力では(コンディションにもよるが)最高レベルのものであろう。
 あれだけサッカーに興じる子供がいて(何百万人か?)、最高レベルはやっと十数人。やっぱり基本的に才能がものを言う世界である。
 でも、その域に達しなくても、体力、知性、精神力でディフェンダーやボランチなどの選手としてパフォーマンスを発揮することができる。そういう意味で、団体競技であるサッカーというのは結構奥の深いスポーツである。

 しかし、実際問題としてそこまでの才能が必要とされないスポーツや芸事、勝負事もある。
 そういうのはやるスポーツとしては実に狙い目なのであるが、見るものとしてはどうだろうか。

 たとえばボーリング。
 すべてのサッカーや野球の選手が幼少の頃からボーリングを本格的にやっていたとしたら、今現在のトップ選手層は完全に塗り変わっているのは明らかである。
 つまり、我々は「人間として最高のボーリング・プレイ」を見ることはできないのである。

 ここではそれがいいとか悪いとかはいうつもりはない。ただ、この事実について私がどう考えているかは、また後日書いてみるつもりだ。

 また、先日ちょっと触れた伝統芸能。
 その多くは世襲制なのだが、それについて以前に興味深い発言をした重鎮がいる。
「結局、人間の才能というのはそんなに差のあるものではないから、それなら幼少の頃から手元で指導できる世襲システムの方が優れている」

 私が何が言いたいかはお分かりだろう。
 要はその芸能には、それくらいの才能しか要求されないってことである。サッカーもそうだが、特に絵画、音楽の分野で世襲なんか聞いたことがない。
 
 少なくとも、門戸を最大に広げていない(数多くの子供にそれを志す道がない)ところには、最高のパフォーマンスは期待できないということだけはいえると思う。
 
 しかしながら、「人間の才能はそんなに差があるものではない」には、深く共感するものである。
 やっぱり大事なのは「継続は力」とか、「好きこそモノの上手」とか、「正しい方法論による努力」とかいうことであって、これらは私のスローガンでもある。

 ここでは、あくまで鑑賞するものについて考察しているのでお間違いなく。
 

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