今日の日記
2002年4月18日 さきほどワンギリされた番号に間違ってコールバックしてしまい、鬱っておりますワタクシです。
==================今日の日記====================
予告通り、横顔はマンボウ。。。さん(http://diary.note.ne.jp/18758)の日記を取り上げてみたいと思います。
ジャンルとしては家族モノということになるでしょうか。
読んでいただければわかりますが、面白さは別に問題ありません(この言い方、まさしく商業文レベルということです)。
P子さんは「バックナンバーを全部読むのがもったいない」とコメントしておられましたが、その通りだと思います。
しかし、こういう日記を評するのは、もはやなかなか難しい。皆さん相当に面白い日記を書かれますし、「楽しいマンボウ一家」とかいうベタアな帯書きみたいなので満足するワタクシでもありません。
しかも、まだ昔のもよく読んでいないというハンディキャップもあります。
ですが、ここはひとつ、自称日記評論家の意地にかけて、ムリヤリ所定の字数を埋めてみたいと思います。(ヲイ
タワシさんのところで大人だといいました。
「大人」の定義ですが、ここでは、年齢などには関係なく、まあいい意味での実体験、感情体験、あるいは思索等を積み重ねている人、とでもしておきましょうか。
ですから、別に小学生であっても「大人だなあ」と感銘を受ける瞬間はあるわけです。
その内容も仕事、恋愛等、さまざまな対象が考えられますが、とりあえず以下、範囲を極めて限定して考えてみます。
まず、意表をついてワタクシの大好きなたんすさん(http://diary.note.ne.jp/16357)の3/14、「ホワイトデーって誰が作ったんだろうと考えた日」を見てみましょう。
この日記、多くの読者に深い共感をもって迎えられたものですが、なんとまあヲトメ(かどうか知りませんが)の心情が見事に綴られているではありませんか。
最近では、ワタクシ寡聞にしてこれだけ嬉しさを素直に表現している一文を知りません。ワタクシなど、ただひたすら「いいなあ」と思うだけです。
(たんすさんは偉大な詩人であります。前日の3/13も素晴らしい出来です)
そして、また別な日にマンボウさんの4/8の「殿様は乾電池」を目にするわけです。
どうでしょう。そこには人妻のいやら・・・ではなく、たんす進化形・・・でもなく、また少し違ったものが書かれておるわけです。もう少しじわじわと溢れてくるヨロコビとでもいいましょうか・・・。
そして、「乾電池」で「動き出す」、これは少なくともある程度の期間、生活を共にしないと出てこない感覚でしょうし、またこういった表現に至るにはさらに今少しの時間がいる。(必ずしもそうではないのかもしれませんが)
ワタクシはこういうのを読むと、前述した意味で大人だなあと思うのであります。
その昔、プラトンは「饗宴」において、登場人物の口を借りて、
「昔、人間は男女同体であったが、神の怒りによって引き裂かれ、以後お互いに失われた半身を求めてさまようことになった」
と語らせています。
これを最初に考えついた人もものすごいですが、マンボウさんの言い方もまた相当なものです。
私見ではありますが、この腑に落ちる感覚、今は亡き向田邦子を凌いでいる、と言わせていただきましょうか。
(時は動いているんだけど/私の目覚まし時計は まだ世の中と/同じように時を刻まない。
ってところも大好きです。その次の段落もね)
そしてまた私事ではありますが、お二人のこのような日記を読みますと、激しい悔恨と苦悩をもって、私自身の過ぎ去った日々が回想されるのであります・・・。
さて、気を取り直して、マンボウさんの4/4、「まんう゛ぉう!あやうし!」を読んでみてください。
ひねりの効いた楽しい日記です。
おそらくワタクシでも、想像をたくましくすればラス前まではこんな感じのものを書けるでしょう。
しかし、最後の段落ですが、この一種の安定感に支えられたオチ、これは実体験をベースにしたところからでないととても出てこないもののように思われるのです。
PS1
おはぎさんと子マンボウさんの成長が楽しみです。
PS2
実はワタクシ、向田邦子は一行も読んだことがありません。知り合いがそのようなことを言ってたもんでつい・・・。
PS3
書き忘れましたが、タワシさんと組み合わせた2トップとすることにより、お互いに破壊力は倍増いたします。
==================今日の日記====================
予告通り、横顔はマンボウ。。。さん(http://diary.note.ne.jp/18758)の日記を取り上げてみたいと思います。
ジャンルとしては家族モノということになるでしょうか。
読んでいただければわかりますが、面白さは別に問題ありません(この言い方、まさしく商業文レベルということです)。
P子さんは「バックナンバーを全部読むのがもったいない」とコメントしておられましたが、その通りだと思います。
しかし、こういう日記を評するのは、もはやなかなか難しい。皆さん相当に面白い日記を書かれますし、「楽しいマンボウ一家」とかいうベタアな帯書きみたいなので満足するワタクシでもありません。
しかも、まだ昔のもよく読んでいないというハンディキャップもあります。
ですが、ここはひとつ、自称日記評論家の意地にかけて、ムリヤリ所定の字数を埋めてみたいと思います。(ヲイ
タワシさんのところで大人だといいました。
「大人」の定義ですが、ここでは、年齢などには関係なく、まあいい意味での実体験、感情体験、あるいは思索等を積み重ねている人、とでもしておきましょうか。
ですから、別に小学生であっても「大人だなあ」と感銘を受ける瞬間はあるわけです。
その内容も仕事、恋愛等、さまざまな対象が考えられますが、とりあえず以下、範囲を極めて限定して考えてみます。
まず、意表をついてワタクシの大好きなたんすさん(http://diary.note.ne.jp/16357)の3/14、「ホワイトデーって誰が作ったんだろうと考えた日」を見てみましょう。
この日記、多くの読者に深い共感をもって迎えられたものですが、なんとまあヲトメ(かどうか知りませんが)の心情が見事に綴られているではありませんか。
最近では、ワタクシ寡聞にしてこれだけ嬉しさを素直に表現している一文を知りません。ワタクシなど、ただひたすら「いいなあ」と思うだけです。
(たんすさんは偉大な詩人であります。前日の3/13も素晴らしい出来です)
そして、また別な日にマンボウさんの4/8の「殿様は乾電池」を目にするわけです。
どうでしょう。そこには人妻のいやら・・・ではなく、たんす進化形・・・でもなく、また少し違ったものが書かれておるわけです。もう少しじわじわと溢れてくるヨロコビとでもいいましょうか・・・。
そして、「乾電池」で「動き出す」、これは少なくともある程度の期間、生活を共にしないと出てこない感覚でしょうし、またこういった表現に至るにはさらに今少しの時間がいる。(必ずしもそうではないのかもしれませんが)
ワタクシはこういうのを読むと、前述した意味で大人だなあと思うのであります。
その昔、プラトンは「饗宴」において、登場人物の口を借りて、
「昔、人間は男女同体であったが、神の怒りによって引き裂かれ、以後お互いに失われた半身を求めてさまようことになった」
と語らせています。
これを最初に考えついた人もものすごいですが、マンボウさんの言い方もまた相当なものです。
私見ではありますが、この腑に落ちる感覚、今は亡き向田邦子を凌いでいる、と言わせていただきましょうか。
(時は動いているんだけど/私の目覚まし時計は まだ世の中と/同じように時を刻まない。
ってところも大好きです。その次の段落もね)
そしてまた私事ではありますが、お二人のこのような日記を読みますと、激しい悔恨と苦悩をもって、私自身の過ぎ去った日々が回想されるのであります・・・。
さて、気を取り直して、マンボウさんの4/4、「まんう゛ぉう!あやうし!」を読んでみてください。
ひねりの効いた楽しい日記です。
おそらくワタクシでも、想像をたくましくすればラス前まではこんな感じのものを書けるでしょう。
しかし、最後の段落ですが、この一種の安定感に支えられたオチ、これは実体験をベースにしたところからでないととても出てこないもののように思われるのです。
PS1
おはぎさんと子マンボウさんの成長が楽しみです。
PS2
実はワタクシ、向田邦子は一行も読んだことがありません。知り合いがそのようなことを言ってたもんでつい・・・。
PS3
書き忘れましたが、タワシさんと組み合わせた2トップとすることにより、お互いに破壊力は倍増いたします。
コメント