村山聖が亡き今、丸山忠久のファンだ!
2002年4月9日 実は昔から将棋が好きでして、割と囲碁将棋チャンネルをかけっぱなしにしるときが多いです。
でも対局そのものはもう数多く放送されてますので、タイトル戦の決勝なんかを除き、別に一生懸命見ることはないです。
このチャンネルで記憶に残った放送のひとつである、桐谷広人氏解説による升田幸三特集が本日から再放送されてまして、大変うれしく思っとります(早速録画しました)。
あと、中川大輔解説による奨励会対局(1回だけですが)や村山聖特集などが印象的でしたね。
囲碁番組だと、世界戦とか道策なんかの名局解説が好きです。
ところで、村山聖は、年代としては現名人の丸山忠久、佐藤康光らと同じで、異能派ながら実力抜群、残念ながら早世された棋士でした。
「聖の青春」という有名な本があるので、ご存知の方も多いでしょう。ビッグコミックオリジナルかなんかでも現在連載されています(私は好きではありませんが)。
さて、「聖の青春」の作者の大崎善生氏ですが、2作目「将棋の子ら」も出てます。どちらも注文をつけたくなる部分はありますが、素晴らしいお話だと思います。
「聖の青春」は「泣ける」といって評判だったらしいですが、確かに公園でばったり出会うシーンとかは出色です。
この大崎氏、早くも3作目が出るそうです(ちなみに将棋物ではないらしい)。
なんでそんなにたくさん本が出せるのかって、誰かがテレビのインタビューで聞いていたんですが、
「自分の中の感情のレベルがある水準より高くなったとたん、いくらでも書けるようになった気がする」
と話しておりました。
確かにそういうもんかもしれません。
自分自身の人生経験もそうですが、見聞きし関わる経験(とそれによる感情)が蓄積され、そしてある時、堰を切ったように溢れ出すということだと思われます。
ネットでも、たまに感銘を受ける文に出会うことがありますが、おそらくプチそのような状態になってるんでしょう。
ちなみに、まだ私にはそういう経験はありません。実際のところ、研究課題となっとります。
最近では筆の立つ人も増えてますから、いわゆるプロでない方が、こういう状態ですごくいいものを書いている場合があります。
たとえば角階優人「流れ星たちの長野オリンピック」(潮出版)
(http://pws.prserv.net/Freestyler/Book&Video.htm)。
私がスキーというかモーグルに興味を持つきっかけともなった本ですが、これは「聖の青春」にも匹敵するくらいの出来です。
「モーグル・テクニック・バイブル」っていう技術書も、もはや哲学書の域まで達してます。(先日の荻村伊知郎の「卓球の戦術・技術」と同じです)
例によって、ぜひご一読をおススメしたいと思います。
PS
でも、別に人生経験が豊富である必要はないと思うんですよ。ジェーン・エアかなんかを書いたブロンテ姉妹の一人は、生涯に出会った人の総数は数人だったそうです。
自分がわかればすべての人がわかる、ってのも原理原則としては納得できます。
ちなみに私の将棋の実力は2、3級くらいで、たいしたことはありません(奇襲というか引っ掛け将棋一本槍です)。囲碁も同程度です。
スキーは、小中学生のとき数回と、社会人になって数回行った経験があります。
(私の父親はノルディックの国体選手(北海道代表)だったことがあるらしい。天涯孤独で苦学した彼は若い頃の話を決してしようとはしませんが、クロスカントリー用のかかとの上がるビンディングといくらでも後傾になる靴で、急斜面をスイスイ足をそろえて滑ってきたのには中学生当時の私もびっくりした記憶があります。)
でも対局そのものはもう数多く放送されてますので、タイトル戦の決勝なんかを除き、別に一生懸命見ることはないです。
このチャンネルで記憶に残った放送のひとつである、桐谷広人氏解説による升田幸三特集が本日から再放送されてまして、大変うれしく思っとります(早速録画しました)。
あと、中川大輔解説による奨励会対局(1回だけですが)や村山聖特集などが印象的でしたね。
囲碁番組だと、世界戦とか道策なんかの名局解説が好きです。
ところで、村山聖は、年代としては現名人の丸山忠久、佐藤康光らと同じで、異能派ながら実力抜群、残念ながら早世された棋士でした。
「聖の青春」という有名な本があるので、ご存知の方も多いでしょう。ビッグコミックオリジナルかなんかでも現在連載されています(私は好きではありませんが)。
さて、「聖の青春」の作者の大崎善生氏ですが、2作目「将棋の子ら」も出てます。どちらも注文をつけたくなる部分はありますが、素晴らしいお話だと思います。
「聖の青春」は「泣ける」といって評判だったらしいですが、確かに公園でばったり出会うシーンとかは出色です。
この大崎氏、早くも3作目が出るそうです(ちなみに将棋物ではないらしい)。
なんでそんなにたくさん本が出せるのかって、誰かがテレビのインタビューで聞いていたんですが、
「自分の中の感情のレベルがある水準より高くなったとたん、いくらでも書けるようになった気がする」
と話しておりました。
確かにそういうもんかもしれません。
自分自身の人生経験もそうですが、見聞きし関わる経験(とそれによる感情)が蓄積され、そしてある時、堰を切ったように溢れ出すということだと思われます。
ネットでも、たまに感銘を受ける文に出会うことがありますが、おそらくプチそのような状態になってるんでしょう。
ちなみに、まだ私にはそういう経験はありません。実際のところ、研究課題となっとります。
最近では筆の立つ人も増えてますから、いわゆるプロでない方が、こういう状態ですごくいいものを書いている場合があります。
たとえば角階優人「流れ星たちの長野オリンピック」(潮出版)
(http://pws.prserv.net/Freestyler/Book&Video.htm)。
私がスキーというかモーグルに興味を持つきっかけともなった本ですが、これは「聖の青春」にも匹敵するくらいの出来です。
「モーグル・テクニック・バイブル」っていう技術書も、もはや哲学書の域まで達してます。(先日の荻村伊知郎の「卓球の戦術・技術」と同じです)
例によって、ぜひご一読をおススメしたいと思います。
PS
でも、別に人生経験が豊富である必要はないと思うんですよ。ジェーン・エアかなんかを書いたブロンテ姉妹の一人は、生涯に出会った人の総数は数人だったそうです。
自分がわかればすべての人がわかる、ってのも原理原則としては納得できます。
ちなみに私の将棋の実力は2、3級くらいで、たいしたことはありません(奇襲というか引っ掛け将棋一本槍です)。囲碁も同程度です。
スキーは、小中学生のとき数回と、社会人になって数回行った経験があります。
(私の父親はノルディックの国体選手(北海道代表)だったことがあるらしい。天涯孤独で苦学した彼は若い頃の話を決してしようとはしませんが、クロスカントリー用のかかとの上がるビンディングといくらでも後傾になる靴で、急斜面をスイスイ足をそろえて滑ってきたのには中学生当時の私もびっくりした記憶があります。)
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