昨日の続き
2002年4月8日 今日は内容について。
自分の書きたいことを書いて、それが鑑賞に耐えるのは素晴らしいことである。おそらく日記という形態はそれでいいのだろう。また、誰しも私小説に近い形で説得力のある1作を書けるのは事実だと思う。
しかし、ずっと書き続けなければならないプロにとって、私小説という方法論はありえないし、間違っている。
多くの小説家が私小説や純文学を批判し、自らエンターテイメント主義、大衆作家を名乗ったが、私も賛同する。
では、どう言う方法論があるのか。
現在、一番多く見られるのは、幻想の市場原理に基づく需要と供給から生み出される作品である。
要するに自分の言いたいことが特にあるわけでもないのに、ただ部数が伸びればいいとするもの。これは広告に踊らされる一般大衆が最大の原因なのであるが・・・。ナントカ賞なんかも結局はその商業システムに組み込まれている。
ベストセラーになるのはいいが、そのうちどれくらいが次世紀に生き残るというのか。金をもらっても読みたくないたい本が多すぎる(時間を返せ!)。
何回も同じ人を例に出すが、典型的なのは田口ランディとかだろう。必死でネタさがしをして結局は盗作疑惑ってことになる(疑惑じゃなくて公式に認めて謝罪したらしいね)。
そこで、プロを目指す皆さんにお奨めしたいやり方がある。これは私としては独力で考えたオリジナルだが、当然すでに誰かが言っているはずだ。
要するに「自分の読みたいものを書く」ということ。音楽でも美術でも応用可能である。
これは、「書きたいものを書く」というのよりは少し客観性があり、自分が読んで面白いのであれば、あと何人かは面白く思ってくれるはずという考えに基づいている。また多くのプロがこれで書いている(ように思う)。
たとえば、螺鉄さん(http://diary.note.ne.jp/21773/)が4/4に紹介している「半茶」http://www.ne.jp/asahi/nsc/gon/。
すごく面白いテキストサイトだと思うが、この中の「テキストサイト管理人に100の質問」で、「自分のサイトが1番面白いですか?」という質問に対して、次のように答えている。
「自分が面白いように書いているので、忘れたころに読み返すとすごく面白い。でも、もっと面白いサイトがあることも知っている。」
これである。おわかりだろうか。
自分が読みたいものを書くというのは一見簡単だが、実は難しい。てゆうか恐ろしい。
最初は既存のものの亜流になったり寄せ集めになったりする。そしていずれは、まだ世の中に生まれていないもの、想像すらできない見たことも聞いたこともないものを自分の中から自分の力だけでひねり出してこないといけない。だいたいそんなことってできるもんなのか?
いちおうやってみたとしても、絶望的になること請け合いである。曰く「俺の真に読みたいものって、この程度?!(悲」。
誰もがシェイクスピアやトルストイになることはできないワケで、いずれは悲嘆が諦観に変わることになる。
「もっと面白いサイトがあることも知っている。」っていうのは結構深い。
ところで、螺鉄さんがネタとした一週間の歌の歌詞であるが、半茶さんの考察は確かに面白いものの、私ならもう少しオリジナルのロシア語歌詞、訳詞の来歴、その他歴史的事実、等を調べるだろう(それだけでも面白そうじゃありませんか)。その上で、それと接点があるようなひねった考察をすると思う。
そういうのが私の読みたいものなのである。
PS
実は、もうひとつの方法論があるらスィー。割と最近、大崎善生が専門番組のインタビューに答えていて、なるほどと思ったものがあるのだ。明日はそれを書きます。
自分の書きたいことを書いて、それが鑑賞に耐えるのは素晴らしいことである。おそらく日記という形態はそれでいいのだろう。また、誰しも私小説に近い形で説得力のある1作を書けるのは事実だと思う。
しかし、ずっと書き続けなければならないプロにとって、私小説という方法論はありえないし、間違っている。
多くの小説家が私小説や純文学を批判し、自らエンターテイメント主義、大衆作家を名乗ったが、私も賛同する。
では、どう言う方法論があるのか。
現在、一番多く見られるのは、幻想の市場原理に基づく需要と供給から生み出される作品である。
要するに自分の言いたいことが特にあるわけでもないのに、ただ部数が伸びればいいとするもの。これは広告に踊らされる一般大衆が最大の原因なのであるが・・・。ナントカ賞なんかも結局はその商業システムに組み込まれている。
ベストセラーになるのはいいが、そのうちどれくらいが次世紀に生き残るというのか。金をもらっても読みたくないたい本が多すぎる(時間を返せ!)。
何回も同じ人を例に出すが、典型的なのは田口ランディとかだろう。必死でネタさがしをして結局は盗作疑惑ってことになる(疑惑じゃなくて公式に認めて謝罪したらしいね)。
そこで、プロを目指す皆さんにお奨めしたいやり方がある。これは私としては独力で考えたオリジナルだが、当然すでに誰かが言っているはずだ。
要するに「自分の読みたいものを書く」ということ。音楽でも美術でも応用可能である。
これは、「書きたいものを書く」というのよりは少し客観性があり、自分が読んで面白いのであれば、あと何人かは面白く思ってくれるはずという考えに基づいている。また多くのプロがこれで書いている(ように思う)。
たとえば、螺鉄さん(http://diary.note.ne.jp/21773/)が4/4に紹介している「半茶」http://www.ne.jp/asahi/nsc/gon/。
すごく面白いテキストサイトだと思うが、この中の「テキストサイト管理人に100の質問」で、「自分のサイトが1番面白いですか?」という質問に対して、次のように答えている。
「自分が面白いように書いているので、忘れたころに読み返すとすごく面白い。でも、もっと面白いサイトがあることも知っている。」
これである。おわかりだろうか。
自分が読みたいものを書くというのは一見簡単だが、実は難しい。てゆうか恐ろしい。
最初は既存のものの亜流になったり寄せ集めになったりする。そしていずれは、まだ世の中に生まれていないもの、想像すらできない見たことも聞いたこともないものを自分の中から自分の力だけでひねり出してこないといけない。だいたいそんなことってできるもんなのか?
いちおうやってみたとしても、絶望的になること請け合いである。曰く「俺の真に読みたいものって、この程度?!(悲」。
誰もがシェイクスピアやトルストイになることはできないワケで、いずれは悲嘆が諦観に変わることになる。
「もっと面白いサイトがあることも知っている。」っていうのは結構深い。
ところで、螺鉄さんがネタとした一週間の歌の歌詞であるが、半茶さんの考察は確かに面白いものの、私ならもう少しオリジナルのロシア語歌詞、訳詞の来歴、その他歴史的事実、等を調べるだろう(それだけでも面白そうじゃありませんか)。その上で、それと接点があるようなひねった考察をすると思う。
そういうのが私の読みたいものなのである。
PS
実は、もうひとつの方法論があるらスィー。割と最近、大崎善生が専門番組のインタビューに答えていて、なるほどと思ったものがあるのだ。明日はそれを書きます。
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