代々木さんとあじ平の関係について
2002年2月24日代々木さんのことを書きたいが、代々木さんのことをうまく書けない。
という書き出しで始まる色川武大の短編がある。(本当は代々木さんではなく御年さんです)
本人の叔父さんのことを書いた作品なのだが、確かになぜか、この姻戚関係には不思議なものがある。
私自身、叔父さんと話し方や声がそっくりだとよく言われる。どうもメンタリティも似ていて、ほとんど交渉は無いものの、名前をつけてくれた人でもあり、昔から気にかけてくれているようだ。
我が娘っ子も、実は私の妹に話し方がよく似ている。また同じようなものに興味を持つようだ。会ったことなんて今まで数時間しかないはずなのに、本当に謎である。
この不思議さについては、この作品ですべて語り尽くされているように思う。ぜひご一読を。(タイトルは確か「御年さん」です)
なんでこんなことを書いたかというと、仕事の先輩の代々木さんなんです。ムーミンに出てくる灯台守に風貌も性格もそっくりな人でした。
その代々木さんのことをたまたま今日は思い出す機会があって、いつかはこういう印象的な書き出しで書いてみたいな、なんて思ったわけなんです。
でも、長くなるので代々木さんについては後日にします。
ではなぜ代々木さんを思い出したかについて。
所用があって三浦半島に車で出かけました。
街道沿いに「あじ平」というラーメン屋があります。神奈川には「くるまや」というチェーン店がありますが、まあ似たようなラーメンを出すところです。
15年以上前、貧乏グルメ仲間の代々木さんとラーメン談義になりまして、あじ平の話になったわけです。
「あじ平って名前、なんだか知っている?」と聞くんです。まあ、なんとなく想像つきますよね。味が自慢とか何とか。三浦半島ですので魚のアジかもしれないし。
でも、正解は驚愕すべきものでした。
「アジア平和ナントカ連合」
だそうです。
別にそれらしいパンフレットが置いてあったり、演説や軍歌が店で流れたりしていたわけではありませんが、以来、なんとなく行かなくなりました。
今日見たらあじ平はまだありました。
やっぱり資金源になってるのかしらん。
それともあれは代々木さんの冗談だったのか。
ということで、代々木さんを偲び(生きてるっちゅ-に)、叔父さんに思いをはせた一日でした。
という書き出しで始まる色川武大の短編がある。(本当は代々木さんではなく御年さんです)
本人の叔父さんのことを書いた作品なのだが、確かになぜか、この姻戚関係には不思議なものがある。
私自身、叔父さんと話し方や声がそっくりだとよく言われる。どうもメンタリティも似ていて、ほとんど交渉は無いものの、名前をつけてくれた人でもあり、昔から気にかけてくれているようだ。
我が娘っ子も、実は私の妹に話し方がよく似ている。また同じようなものに興味を持つようだ。会ったことなんて今まで数時間しかないはずなのに、本当に謎である。
この不思議さについては、この作品ですべて語り尽くされているように思う。ぜひご一読を。(タイトルは確か「御年さん」です)
なんでこんなことを書いたかというと、仕事の先輩の代々木さんなんです。ムーミンに出てくる灯台守に風貌も性格もそっくりな人でした。
その代々木さんのことをたまたま今日は思い出す機会があって、いつかはこういう印象的な書き出しで書いてみたいな、なんて思ったわけなんです。
でも、長くなるので代々木さんについては後日にします。
ではなぜ代々木さんを思い出したかについて。
所用があって三浦半島に車で出かけました。
街道沿いに「あじ平」というラーメン屋があります。神奈川には「くるまや」というチェーン店がありますが、まあ似たようなラーメンを出すところです。
15年以上前、貧乏グルメ仲間の代々木さんとラーメン談義になりまして、あじ平の話になったわけです。
「あじ平って名前、なんだか知っている?」と聞くんです。まあ、なんとなく想像つきますよね。味が自慢とか何とか。三浦半島ですので魚のアジかもしれないし。
でも、正解は驚愕すべきものでした。
「アジア平和ナントカ連合」
だそうです。
別にそれらしいパンフレットが置いてあったり、演説や軍歌が店で流れたりしていたわけではありませんが、以来、なんとなく行かなくなりました。
今日見たらあじ平はまだありました。
やっぱり資金源になってるのかしらん。
それともあれは代々木さんの冗談だったのか。
ということで、代々木さんを偲び(生きてるっちゅ-に)、叔父さんに思いをはせた一日でした。
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